第8話:師弟関係(後半)
トレーナーへの誘い
──8月下旬(ロッカールームで小橋との会話)
「加藤君、古田の指導ありがとね。やっぱり私が見込んだ通りだったわ。まさか1ヶ月で白地で契約を取らせるなんて、想像以上だわ」
「い、いえ、俺は軽くアドバイスしただけで、彼女の努力の賜物ですから。だから、俺じゃなくてゆかり──いや、古田さんを褒めてやって下さい。小橋さんに褒められたら彼女もきっと嬉しいと思いますし」
「www もう古田は私の手を離れてるから。それは加藤君の役目だから、しっかり褒めてあげてね。それが一番古田も喜ぶから」
「は、はぁ……」
「加藤君、やっぱり指導のセンスもあるから、もう一度トレーナーやりなよ」
「い、いや……俺、トレーナーより営業を選んだ──」
「けど、もう営業できないでしょ? だから会社辞める気でしょ?」
「──?! な、何で……」
「それくらい分かるわよ。伊達に長年この業界で生きてきてないから」
「ど、どこまで──」
「彼女の事……残念だったねって言えば分かる?」
「──?!」
「それからでしょ? できなくなったの。そして、こないだの入院が決定打になって営業から足を洗おうとしてるんでしょ?」
「は、はい……営業できなくなった俺は、もう会社にとってお荷物そのもの──」
「トレーナーならできるでしょ? 現に古田の指導、普通にできてたじゃない。これ以上ない結果もしっかり出したし」
「……!」
「古田の指導してみて、どうだった? 楽しかったでしょ?」
「はい……こんな俺に懐いてくれて、日々成長していく彼女を見るのは凄い楽しかったですし、やりがいもありました。正直、このままずっと面倒見ていけたらって……本気で思ってました」
「やっぱりそうでしょ? これは神様のお告げだから。トレーナーになるべくしてそういう身体になったんだよ、加藤君は」
「……!」
「運命ってそういうものだから。古田がこの時期に現れたのが何よりの証拠よ。古田は神様の使者だから」
「な、何か微妙に宗教じみた話になってる気しますが……何かそんな気がしてきました」
「でしょ? ま、辞める決心してた加藤君に即答は流石に望まないけど、トレーナーの件、前向きに考えてみて。私が悪い様にはしないから」
「あ、ありがとうございます。で、でも何で俺の為にここまで?」
「私はずっと買ってたから。私の右腕になれる子は、加藤君しかないって」
「ま、またまた~。みんなにそういう事言ってるんですよね。流石、小橋さん──」
「嘘じゃないから。じゃなきゃ、いち職員の為にここまで調査しないから。──はい、これが証拠」
「──?! な、何です、この書類の束は……俺の調査表? な、何で──」
「だからずっと買ってたからって言ってるでしょ。私の右腕になって、そして川崎さんの後継者になるのはこの子しかいないって期待してたんだから。まぐれじゃ去年の下半期の成績は絶対とれないし」
「あ、ありがとうございます」
「川崎さんをも脅かす加藤君の営業力はホント惜しいけど、このまま辞めていくのはもっと損失大きいからね。この会社にとっても……業界にとっても」
「ぎょ、業界って……いくら何でも大げさな……」
「私には見えるから。もしこのまま辞めていったら、業界の最大の敵になって立ちふさがる破壊神になるって」
「い、いや……流石に俺を買い被りすぎですって。それに業界の最大の敵って、いくら何でも──」
「加藤君はそういう宿命の元、シヴァの加護を色濃く授かってるから。善悪どちらにでもなる神がもし破壊の方を選んだらと思うと、夜も寝られないわ」
「(これが……噂に聞く小橋ワールドか……)」
「そうならない為に、何としても加藤君には会社に残って貰わないとね。……古田に頑張って貰わなくちゃ」
「……ど、どういう事ですか?」
「内緒♪ ま、すぐ分かるから。じゃ、前向きに考えておいてね」
「は、はい……」
身体を壊し退社を決意していた加藤に唯一気付いた人物──小橋であった。そして、二度とは戻る事ができないと思っていたトレーナー職への復帰という形で、最大限の引き留めをしてくれた人物も。
古田の様な部下に恵まれて、今後トレーナーとして生きていくのも悪くないかもしれない──少し心が動きつつあった。
──トレーナーになってこのまま残るか、辞めてFPになるか
この究極の選択は──全く予想だにしなかった出来事により、加藤の意志とは関係なく自動選択される事となる。
真実
──数日後、カウンターバーにて
「そういや、ゆかりさんって小橋さんとどうやって知り合ったの?」
「え? 支社の研修中に初めて会いましたけど? 私の指導員になるからって」
「ん? ゆかりさんって小橋さんのわかばじゃないんだ。じゃ、誰経由で入ったの?」
「私は自らの意志で来ましたから誰経由というのはありません。強いて言うなら、たくみさん経由……でしょうか。私、たくみさんのわかばって事になっていますので」
「……は? い、意味分かんないんだけど……どういう事?」
「最初の挨拶の時、言いましたよね。前から色んな噂話聞いて憧れてましたって。憧れを現実にする為に、私はここに来ましたから」
「ちょ、ちょっと待って? え、えっと……支社研修の時に俺の事を聞いたって解釈してたけど、違うの? な、なら……誰から聞いてたのさ……」
「母から毎日の様に聞いてました。森珈琲店って言えば分かります?」
「──! あのおばちゃんの……確かに名字は同じだけど、そ、そうだったんだ。た、確かにアソコの喫茶店はちょくちょく行ってて自分専用の席があるくらいの常連にはなってるけど……ロクな話、聞いてないでしょ。いっつも喫茶店でサボってお茶飲んでるグータラなダメ営業マンとか」
「いえ、今の時代には珍しい程の勤勉で熱心な青年っていつも褒めてました。たくみさんの爪の垢を煎じて飲ませたいっていっつも私に。婿養子として迎え入れたいくらいだっていっつも言ってました。あんないい男は滅多にいないからって、何度私に紹介しようとした事か」
「お、俺……そんな訳分からない程、過大評価されてたんだ。ご、ごめん……知らずとはいえ、ゆかりさんに嫌な思いさせる事になっちゃって……」
「www 気にしないで下さい。嫌な思いはしてませんから。その証拠に、こうやってここに来た訳ですから」
「──?!」
「あれだけ母に言わせるたくみさんはどんな人なんだろうっていっつも考えてるうちに、実際に見てみたい、会ってみたいという思いがどんどん強くなっていって……それで思い切って〇×商事を辞めてここに来ました」
「〇×商事って、あの商社? そこを……そんな好奇心だけで辞めて? な、何て事を……」
「後悔はしてません。だって、聞いて想像していた通り……それ以上の人でしたから。これからもずっと一緒に……生きていけたらって思ってます」
「あ、ありがと……た、ただ……き、気のせいかな……ずっと一緒に生きていけたらって、そういう意味にも聞こえちゃうんだけど」
「そういう意味……で言ってますよ?」
「──?!」
「たくみさんは、私の事……嫌いですか?」
「嫌いだったら……付きっ切りで教えたりしないよ」
「私……キレイじゃないですか?」
「ゆかりさんをキレイじゃないなんていう男なんて……いる筈ないよ」
「私といて……楽しくないですか?」
「時間が過ぎるのがいつも早く……感じるよ」
「私の事……好みじゃないですか?」
「正直……滅茶苦茶タイプ……だよ」
「私と特別な関係になるの……イヤですか?」
「嫌じゃない……けど……」
「じゃ……今から……行きません?」
「ど、どこ……に?」
「そういう関係に……なる場所です。全て……受け止めますから」
「……わ──」
「あれ? たくみ君、偶然だね~」
「──?! く、九重?」
「あ、古田さんじゃん。こんばんわ~。うちの子、迷惑かけてませんでした?」
「う、うちの子って……あ、あなたは一体?」
「あれ? 知らないの? 私、たくみ君のフィアンセで一緒に住んでるけど? 彼ったら女遊びが激しくってね~。いっつも女の子、取っ替え引っ替えしてるの。最後には私の所に戻ってくるって分かってるから、私は気にしないけどね」
「お、おま……何を……」
「あ、これからホテル? 別にいいけど、避妊だけは気を付けてね。またあの子みたいな事になったら面倒だから」
「お、お前、ホント何をいきなり言い出すの……ゆ、ゆかりさん、コイツの言う事は信じ──」
「(パシーン!)たくみさんの事……信じてたのに! ……サヨナラ!」ダダダッ……
「ゆ、ゆかりさ──」
「あ……行っちゃったね。ちょっと軽くからかっただけなのに」
「……」
「冗談の通じない子だね」
「……」
「たくみ君、振られちゃったね。……ドンマイ♡」
「お、おま……な、何て事を……」
「これくらいの事で去ってく様じゃ、どのみち長持ちしないから」
「アホ! あんな事言われたら誰だってあーなるわ! うぅ、せっかくあんな子と上手くいきそうだったのに……」
「けど、別に本気じゃなかったんでしょ?」
「それは……そうだけど、付き合ってたら本気になったかもしれないし!」
「あ、それはムリだよ。過去の私が何よりの証拠だから」
「け、けど! あんな可愛くていい子が相手だったら──」
「未だに死んだ彼女の家族に仕送りしてる人が、無理に決まってるじゃん」
「うぅぅぅ……ゆかりさん、最近の俺の心のオアシスだったのに……」
「私がいるからいいじゃん」
「ま、そうだけど……うぅぅぅ……まさかあのタイミングで偶然九重が店にくるなんて……何てついてない……」
「……そんな偶然、ある筈ないじゃない。……ずっと見てたんだから……!」
「──は? ど、どういう事?」
「たくみ君、言ったじゃない。今日飲みにいくから遅くなるって。暇だったらこっそりついて来て覗いてればいいって。その通りにしたまでだよ」
「え……ま、まさか……ずっと……?」
「ホント、私の一日返してよね。延々とあ~んな可愛い子とのイチャイチャぶりを見せつけられて、さ。……凄いイライラして、ムカムカて、悲しくって……思わず邪魔しちゃった。……ごめん……ね」
「ま……いいよ。俺こそ……ごめん。逆の立場だったら同じ事したかもしれないし。俺、やっぱりお前がいるうちは彼女作ったり遊んだりしない方がいいかな」
「あ、別にいいよ~。ただ……また暴走しちゃったら……ごめんね」
「……いいよ。……こうやって嫉妬されるのも、悪くないね。ちょっと……かなり嬉しいかも」
「……バカ」
「さ~て、本来だったらまだデートしてる時間だけど……振られちゃったから、九……あすか、付き合ってよ」
「……しょうがないな~、私が慰めてあげる♡」
こうして加藤と可憐な美女、古田ゆかりとの関係は終焉を迎えた。九重の妨害さえなければ、当たり前の様に付き合って、彼女を好きになって、もしかしたらそのままゴールインしていたかもしれない。同時に、当たり前の様に会社に残ってトレーナーになり、出世して、もしかしたら営業部長、さらにその上になっていたかもしれない。が……結果はコレである。
──これでトレーナーになって平穏に過ごしていく未来が、完全に消えたな。全く見通しのないFPの道を行かざるを得なくなった訳か……コイツ、その事、分かってるのか?
悪びれる様子もなく加藤の右腕に無邪気にしがみついてくる九重に軽い怒りを覚えながらも、嫉妬を喜び、結末に満足している加藤がいた。
──ゆかりさんが神様の使者なら、コイツは悪魔の使者、か。そして、俺は……悪に魅入られ、破壊神になる……これが俺の運命か。
小橋の宗教染みた話を思い返し、自らの運命を悟った様な気がしたうだるような真夏の夜の出来事だった。
挿話?
本当は営業物語で小橋を登場させる気はサラサラなかったのですが、リアルでは普通に絡みがあったので。
前編にも書きましたが、大体リアルです。
小橋について。設楽のり子の~では、悪印象が強く描かれていますが、少なくとも自分にとっては「いい人」でした。唯一といっていい程、自分の実績を認めてくれるどころか、ドクターストップかかった際にトレーナーなら出来るとの事で本気で引き止めてくれましたし。(流石に探偵まで雇って色々調べこんだのは今思うと如何なものかと思いますが)
まぁ、何かと宗教染みた事を言ったり、異様に人を見下した人でしたが、「化物」を理解できるのは「化物」といったところでしょうか、少なくとも自分は嫌いではありませんでした。……彼女の予言は遠からず当たってましたし笑
古田について。冗談の様なホントの話です。あまり外見は触れませんでしたが、一言でいうとモロ好みの嬢様、という感じでした。そんな子に、自分を追って営業所に来た、なんて迫られたら、ねぇ……同時に、小橋のトレーナー話もありましたので、このまま一緒になれば必然的に安定して穏やかな未来が~という事も頭を過ぎり、思わずフラフラ~っと流されそうに……
九重について。この回だけ読むと、如何にも九重が彼女の様な感じに思われますが、、普通にフィアンセもいて、当然自分とは男女関係にはありませんでした。なのに……ねぇ……別にその後の人生に後悔は全くしていませんが、せめて自分が決断したかったな~、と笑
この回について、創作しようと思えば、実は古田が小橋の刺客でハニートラップを仕掛けて~等と、よりスリリングな話に出来ましたが、リアルとかけ離れるのは如何なものか、という事で、色々考えに考え抜いて、結局ほぼリアルに~という形にしました。
取りあえず、脱線(新規書き足し)はこの辺にして、以後最終回までまともにいきます。
前に前HPで公開していた内容(少し書き足しますが)そのままですが、外伝含め書き足しを踏まえると……全く違った印象になるでしょう、恐らく。
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