たくみの営業暴露日記

たくみの営業暴露日記 最終章 第9話:師弟関係(前半)

たくみの営業暴露日記
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第9話:師弟関係(前半)

「(ハァ……ハァ……)やった! 取れました! アンケート! これで後9枚ですね!」

「お! 凄いじゃん、2時間でアンケート取っちゃうなんて、センスあるよ。ただ、ちょっと休憩しようか。ほら、もう息上がってるし」

「(ハァ……ハァ……)いえ! コツが掴めそうなのでこのまま続けます! それに後9枚のノルマありますから、休んでる時間が勿体ないです!」

8月初旬、加藤は九重──ではなく、1人の新人の子に付きまとわれ、気が付いたら何故か飛び込み指導をしていた。

──俺は一体何をしているんだ……?

場面は今日の朝に遡る。

「え~、今から新人を紹介します。新人の人達は前に来て下さい」

8月某日、毎月恒例の新入社員が数名入って来た。皆、何とも初々しく希望に満ち溢れた顔をしている。

(あ~あ~、何も知らないでこんな会社に入ってきちゃって……きっと夢物語みたいな事言われてそれを真に受けて来たんだろうな……半年もすればきっと現実を知って後悔してるだろうな、可哀相に……ま、俺には関係ない事だからどうでもいいけど)

新人達の挨拶を聞きながら、無関心にこんな風に考え、他事をしているのは加藤だけではなく皆同じであろう。トレーナーでもなければ新人との接点は皆無に等しく、気が付いたら一言も話をする事なくいなくなっていた──この様なケースを何十、何百と経験していると、必然的に新人に無関心になるのは当然な事である筈だから。

(さて……今日から挨拶巡りをしてみようかな……九重、付き合ってくれるかな……いや、1人でもやってみるか)

朝礼が終わり、今日の予定を頭で巡らしていると、いつもの様に隣に人の気配が。

「おぅ、おはよう。今日、飯食った後、もしよかったら仕事付き合って貰えないかな? あ、嫌なら俺1人で行くけど、どうする?」

いつもの九重だと思い、視線を向ける事なく話す加藤。が──

「是非! まさか加藤さんから誘って頂けるとは思いませんでした」

「──?!」

全く見知らぬ声に思わず振り返る加藤の前には……明らかに場違い感半端ない可憐な美女が佇んでいた。思わずフリーズしていると、彼女はさらに続ける。

「今日からここで働く事になった古田ゆかりです。ずっと加藤さんに憧れてました。よろしくお願いします」

「──?!」

衝撃発言をする彼女に、加藤だけではなく九重も……そして皆もがフリーズし、まるで時間が止まったかのように営業所を静寂が包み込む。時間にして数秒足らずであろうか、ハッと我に返り、周りの空気に気付いた加藤は、慌てて思わず彼女を引き連れ、隣の部屋(ロッカールーム兼休憩室?)へ逃げる様に移動していった。

──営業所隣の部屋

「あ、2人でこれからの打ち合わせですね。まず、私は何をしたらいいですか?」

「い、いや……そういうつもりじゃなくて……あ、頭が真っ白になってて……」

「こう見えても私も同じです。初日から仕事する事になるとは考えていませんでしたので」

「い、いや……それ以前に、お、俺の事、憧れって……さらにそれ以前になんで俺の事……初対面だよね?」

「はい、今日初めて会いましたが、加藤さんは有名人ですから。色々な噂話は一杯聞いてます」

「お、俺が有名人? ど、どこで?」

「加藤さんの話を聞かない日はないくらい、毎日の様に聞いてましたから。とにかく凄い人だって」

「そ、そう……支社での研修時とかで俺の話とかちょくちょくしてるんだ……し、知らなかった……」

「そんな憧れの加藤さんに初日から教えて貰えるなんて……思い切ってここに来て良かったです」

「い、いや……俺、そんな大した人じゃないから。それに、俺、トレーナーじゃないから新人さんに勝手な事できな──」

「既に小橋トレーナーに許可貰っているから大丈夫です! 加藤さんがいいって言うなら構わないって」

「──?!」

と、話をしていると、ガチャっとドアが開き、1人の何とも異質なオーラを放つ女性が入って来た。小橋トレーナーである。

「あ、加藤君。後でお願いしようと思ってたら、もう2人で打ち合わせしてるのね。流石、私が見込んだだけあって、動きが早いわね。じゃ、古田の面倒、しっかり見てやってね。期待してるわよ」

「──ちょ、ちょっと……」

小橋という人物──この営業物語においては初登場である。実にこの方、川崎と並んで全国レベルの実績を叩き出している超優績者であり、川崎同様に限りなく自由出社が認められている特別な職員であった。ちなみに、いかにも今まで加藤とそこそこ交流があったかの様にフレンドリーに話し、お願いする小橋であるが、これが実に加藤の入社以来、彼女との初めての会話であった。……小橋はこういう人なのである。

※小橋については設楽のり子の暴露日記を参照。

あまりに唐突な事が続き、途方に暮れている加藤に対し、古田はさらに続ける。

「教えて貰うからには、みっちり手取足取り毎日マンツーマンで鍛えて貰えって言われました」

「マ、マンツーマンって……ま、毎日? トレーナーじゃない俺がそんな事──」

「話は私が通すから心配するなって言ってました。加藤さんに目をつけるのはセンスある、ナイスアイデアだって」

「ま、まぁ……あの人ならホントに話通しちゃいそうだし……実際頼まれちゃったし、やらなきゃいけないみたいだね……分かったよ、やるよ。……けど、俺の指導、厳しいよ? 過去何人もついてこれなくて辞めてるし……それで構わない?」

「望むところです! 遠慮なく指導して下さい!」

「じゃ、取りあえず飛び込みでアンケート────」

この様な流れで、加藤は古田の指導を引き受ける事になった。

(ま、どうせ初日で音を上げるから、深く考えなくてもいいか。……今までの人達みたいにどうせすぐ辞めるだろうし。……小橋さんもそれを承知で俺に任せた……筈だよな?)

この様に思っていた加藤ではあったが、予想に反して古田は……見かけによらず根性があった。そして、時間は冒頭から少し動く。

──18時過ぎ

「(ハァ……ハァ……)後……3件……」

「ゆかりさん、お疲れ。タイムオーバーだよ。もう帰社しないと」

「で、でも……まだノルマ──」

「もう十分だから。……初日から7枚のアンケート取るなんて、凄い根性だよ。見直したよ、ホント。……はい、ポカリ飲んで」

「(ゴクッ……ゴクッ……)ハー……凄い身体に沁みるー、こんなにポカリがおいしかったなんて知りませんでした」

「wwwwww」

汗だくになりながら満面の笑みでポカリを飲む彼女を見て思わず心から笑顔になった加藤──この時から2人の師弟関係はスタートした。

翌日以降、加藤の隣には常に古田がいた。小橋の計らいがあってかどうかは不明だが、九重と時と違い、心なしか周りの目が優しく感じた。健気に熱心に話を聞く古田、それに応えて優しく丁寧に教える加藤──理想を絵にかいた様な師弟関係は営業所全体を優しい空気で包み込み、そして周りの態度までをも溶かしていった。

「いってらっしゃい」

「頑張ってね」

「お疲れ様」

いつしか営業所を出る時に加藤の背後から聞こえるのは罵声ではなくなっていた。

──3週間後(8月下旬)

「──やった……契約が……取れましたー!」

「おめでと、ゆかりさん。……凄いじゃん、1ヶ月目から白地で契約取っちゃうなんて」

「これもたくみさんの指導の賜物です。本当に……ありがとうございました!」

「いや……俺はちょっとアドバイスしただけで、何もしてないから。全てゆかりさんが頑張った成果に過ぎないから。ホント、凄いよ。このままいったら、小橋さん以上の伝説の生保レディになれるんじゃない?」

「いえ、私は……言われた事を忠実に実行しただけですから。たくみさんが毎日付きっ切りで指導してくれましたから。けど……迷惑じゃありませんでした?」

「正直……ゆかりさんに指導するのは凄い楽しかったよ。泣き言言わずにどんどん動いて、知識を吸収して、日々成長が見て取れて……許されるなら、これからもずっと面倒みていきたいと本気で思ってるくらいだよ」

「私も……同じです。これからもずっと一緒に……生きていけたらって。やっぱり聞いてた通り、いえ、それ以上にたくみさんは素晴らしい人でした。この3週間で、その事がよく分かりました」

「ゆかりさんにそう言って貰えて、素直に嬉しいよ。ありがと」

「あ、約束してましたよね? 初契約の時はお祝いしてくれるって。またあの店、連れて行って下さいよ。あの老舗の懐石料理の味は衝撃的でしたから」

「www 単なる個人経営の長年やってる居酒屋で、あれはどて煮だけどね」

あれから3週間──2人の距離はすっかり縮まっていて、仕事後もごく自然に時間を共にするくらいの関係になっていた。

この時、加藤は何一つ気付いていなかった。

──ずっと加藤さんに憧れてました。

この言葉の本当の意味を。

1週間後──加藤は人生最大の分岐点を迎える事となる。

夜の日常

「たくみ君、まだ~? 早くおつまみ~」

「もうすぐできるからもうちょっと待って──って、何で俺がお前のつまみ作ってるんだよ!」

「それくらい、いいじゃ~ん。最近、あの子とばっかイチャイチャして全然会社で構ってくれないし~」

「イチャイチャって……見てたら分かるだろ? 指導してるんだよ! ん? 九重も一緒にやる?」

「何でこの私が飛び込みしなくちゃいけないのよ! 私は絶対仕事しないから! それが私のポリシーだから!」

「……堂々ととんでもない事言うな、お前……ある意味凄いよ……尊敬するよ……」

「えへへ♡ 褒められちゃった♪」

「別に褒めてもないんだけどね……はい、お待ちどうさま、お嬢様。ほうれん草のソテーにハムステーキでございます」

「──♪」

「な、何か俺……お前の召使みたいになった気分なんだけど、気のせいかな……」

「www 嬉しいくせに~」

「──?! な、何、バカな事を……」

「私に仕えるの、実は好きなんでしょ? 昨日だって何とかいって私の髪、乾かしてくれたし、一昨日だって肩揉んでくれたし」

「お前が頼むからだろ! 何で俺がこんな事やらなくちゃいけないんだよ!」

「FPになる為でしょ? 何言ってるの?」

「──?!」

「滅私奉公の心はFPには必須だから。その心を手っ取り早く身に着けるには召使いをするのが一番手っ取り早いでしょ? だから、たくみ君の為を思って敢えてそうしてるんだから。感謝してよね~」

「そ、そうだったんだ……そこまで考えてくれてたんだ……あ、ありがと」

「私に仕える事が何よりの喜びって心の底から感じる様になれば完璧だよ。そしたら、立派な私の僕になれるから」

「……僕って……やっぱお前、俺を騙してるだろ!」

「wwwwww」

意外に平和に暮らしている加藤と九重であった。

挿話?

微妙に長くなりそうなので前半・後半と分けました。正直、この話は掲載を避けようと思いましたが……印象に強く残っている話なので……

意外にもこの話、時期的にもほぼ同じで、改編は限りなくしていなかったりします。一部はプライバシー保護の為、略してますけどね。

詳しくは、後半の挿話にでも書きます、はい。

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