one night love?
「加藤君、今日夜の街に繰り出そうか。……奢ってやるからさ」
5月下旬のとある日、加藤は喫茶福井の常連である斎藤さんという方に連れられて、とあるクラブに来ていた。この斎藤さんという方、美幸がウェイトレスをする前からの常連客であり、加藤と年が近いという事もあって妙に馬が合い、この様に何度か飲みにいく友人に近い付き合いをしてきた。
たわいのない談笑をしながら飲む事1時間、軽く酔いが回って気分がほぐれてきたところで、斎藤さんが切り出して来た。
「加藤君、最近何かあった? 最近喫茶店にも来てないみたいだし、ママさんに聞いたら直接加藤君から聞いてくれ、私の口からは言えないって言われたし……もしかして、あのウェイトレスの子絡み?」
この発言に驚く読者もいるかもしれないが、喫茶店内では2人は極力関係を持っている事を隠していたが為、傍から見れば「ちょっと仲の良いウェイトレスと常連客の関係」と認識されていた。斎藤さんもそう思っている1人だった。
いつもなら適当にはぐらかす加藤だったが、真剣な表情で聞いてくる斎藤さんを無下にするのは申し訳ないという気持ち、そして酔いも相まって、これまでの出来事を話し始めた。
「少し長い話になりますが──」という言葉から始まった話が終わるまでかかった時間、実に2時間。気が付いたら斎藤さん以外に店の子が3人程、加藤の話に聞き入っていた。
「──という感じで、何もかも失って1人になっちゃったよ……って話ですわ」
全て話し終えた時……場の雰囲気はとんでもない事になっていた。あまりの話に開いた口が塞がらずに言葉を失ったままの斎藤さん、涙をボロボロ流して顔に手を当てて大泣きする店の子2人、そして真剣な表情のまま黙り込んだままの店の子1人。……加藤のテーブルだけ、いや、両隣のテーブルまで異様に暗い雰囲気になってしまった様を見て、加藤は「しまった……!」と後悔した。
(楽しく飲む事が目的の店で……俺は何て事を……な、何とか場の雰囲気をせめて元に戻さないと……!)
という思いで、話題を切り替える為に口を開こうとした矢先──隣の店の子が話しかけてきた。
「加藤君……大変だったね。けど……今日の話で加藤君がどういう人かって……よく分かったよ」
「ご、ごめんなさい……こういう店でこんな暗い話しちゃって……もうちょっと面白おかしく、笑いも交えて話すべきでした。ホント、俺、話下手で空気読めないですよね……だから1人になっちゃう──」
「そんな事ないから! 加藤君は何も悪くないから! きっと加藤君の事、認めてくれる人だっているから! 私だって……そうだから!」
「(フッ)ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです。……あ~、何か久しぶりにプライベートでこんな話したな~。また明日から1人か~……早く今の環境に順応しなくちゃな~、これからずっと1人だし」
「そんな環境に慣れちゃダメ! 大丈夫……これからせめて私が一緒にいてあげるから」
「ありがとうございます。営業トークでも嬉しいです。……けど、ごめんなさい。俺、仕送りしなくちゃいけないから、常連になって店、頻繁に来れないですから……」
「そういうのじゃないから。……明日になったら分かるから。今日は……これから楽しく飲も♪」
少々発言がおかしいとは思いつつ、これも店に来る人に合わせて言っているに過ぎないんだよな、上手いな~という風に思いながら、クラブでの一時を楽しんだ加藤であった。
──帰り際
「じゃ、今日はありがと、紗理奈さん。楽しかったよ。また来るよ……って言いたいけど、さっき言った様に仕送りあるから……ま、もし街で偶然出会ったら、デートでもしよっか」
「www じゃ、明日デートだね♪」
「www じゃ、また!」
まぁ、こういう店ではよくある会話の一つであろう。
が……翌日、加藤は紗理奈という女性と再び出会う事になる。……予想だにしなかった場所で。
River of tears
「──実績あがってる人もあがっていない人も、今週末まで足を止めずにしっかりやるように。では、本日の朝礼を終わる」
時は5月の締め切り4日前。加藤は寝不足も相まっていつも以上に夢うつつで朝礼時間を過ごしていた。朝礼が終わるや否や、周りからざわざわとした話し声が加藤を痛めつける。孤立している加藤にとって、人の会話はいつしか息苦しさすら覚える程、苦痛なものとなっていた。
(さて……と。速攻で営業所出るか。……今日は何か飛び込みできる気……するし。流石に2ヶ月連続でタコ打つ訳には……)
4月の実績──ゼロ。そして、5月の実績も残り4日残して、ゼロ。見込み……なし。飛び込み……未だ出来ず。
加藤は復活の兆しすら掴めず、どん底を這いつくばっていた。こんな状況にも関わらず、営業部長の叱咤の一つもなく、放置されていた。
今思い返せば、3月まで化け物じみた実績を叩き出していた営業マンにアドバイスなんぞ無理、下手なアドバイスなんぞしない方がいい、という解釈をしていた、という見方も出来るが、当時の加藤は「単に無視され冷遇されている」という認識しか持てずにいた。
(ま……俺が契約取ろうが取れなかろうが、関係ないか。……俺は透明人間だし。そもそも欠陥人間の俺が、人並みの感情とか持っちゃダメだよな……さて、行くか)
と、席を立とうとした瞬間──加藤を呼ぶ声が背後から聞こえた……気がした。
(……俺、かなりヤバイかも。とうとう、俺の名を呼ぶ幻聴まで聞こえるよ。……んな事、ある筈ないのに)
「──君、加藤君! たくみ君!」
「──!」
(あ、あれ? 幻聴じゃない? だ、誰……だ?)
恐る恐る振り返ると……一人の見知らぬ営業職員の女性が目に入って来た。
「ちょっと早いけど、これからランチいこ。ほら、早く!」(グイッ)
「──?! え、ちょ、ちょっと──」
意味も分からず腕を引っ張られ、謎の女性と共に営業所を出る加藤。その間、10秒前後であろうか、営業所全体が静寂に包まれていた事を加藤は知らずにいた。
──会社近くの洒落たバー(昼間は喫茶店?)
「あ、流石にこの時間だと空いてるね。けど、まだランチやってないか。……あ、ここ、昼間でもお酒頼めるじゃん。ちょっと飲もっか。──すいませ~ん」
「え、ちょ、ちょっと?」
「あ、私はカカオミルクで。たくみ君はジンでいいでしょ?……じゃ、ジンライム」
全く意味が分からず、ポカーンとしている加藤に、その謎の女性は話し出す。
「ほら……今日また会ったでしょ?」
こう言われても全く気付く様子のない加藤に、さらに言葉を続ける女性。
「まだ分からない? 昨日一緒に飲んでたじゃん。で、言ってたじゃん、偶然街で会ったらデートしよって」
「──?! さ、紗理奈さん? な、何で……」
「www やっぱり知らなかったんだ、私が同じ営業所で働いてる事。一応2年近くここで働いてるんだけどな~。本名は九重あすかだよ」
「──?!」
一見、意味不明な会話に聞こえる読者の方も多いであろう。同じ営業所に関わらず、加藤が全く認識していなかった、という事を。が、人の入れ替わりが異様に激しい生保業界においてこういう事は決して珍しい事ではない。これは加藤のみに当てはまる話ではなく、専門部(3年目以降)の人にとっても似た様なもの、という事を付け加えておく。……流石に2年近くいる職員の存在自体を認識していなかった、というのは加藤くらいかもしれないが。
……という業界豆知識はこの辺に、物語へ戻る。
「これからは、私が一緒にいてあげるから、ね」
「い、いや……俺と一緒にいたら紗理奈……いや、九重さんの立場も悪くなるから。……気持ちだけで──」
「営業所みんなとたくみ君なら、私はたくみ君を選ぶから。みんなと社交辞令的な話してるより、たくみ君といる方が全然いいよ、私は」
「……!」
「みんなに無視されても、2人なら少しはマシでしょ?」
「け、けど……今の俺といても、何のメリットも──」
「メリット・デメリットでばかりで人は動くものじゃないから。たくみ君だってそうだったでしょ?」
「ど、どうして……」
「そんなのたくみ君が気に入ったからに決まってるじゃない。何言ってるの?」
「……────ッ」
「ちょ! な、何いきなり泣き出──もう大丈夫だからね。私が……一緒にいてあげるから」
「────ッ」
「それにしても、みんな見る目ないよね。こーんないい子を無下にするなんてさ」
「────ッ」
「会社もバカだよね。こーんな実績あげて才能ある子をないがしろにして潰そうとしてるなんてさ」
「────ッ」
「化物とか変人とか……人よりちょっと純粋で不器用なだけの……普通の子に過ぎないじゃんね」
「────ッ」
「彼女の事も……残念だったね。けど、たくみ君のせいじゃないから。……きっと、妹さん達も分かってくれる時が来るから」
「────ッ」
「大丈夫、たくみ君はこのまま終わらないから。私が……どうにかしてあげるから」
「────ッ」
彼女の優しい一言一言が胸に突き刺さり、加藤はまるで子供の様に泣き続けた。人目も気にせず、流れる涙を拭く事もせず、延々と……
九重あすか──23歳。後に加藤の理解者、そして長年心の友となる人物。そんな彼女との関係は……涙から始まった。
挿話?
時期は微妙に違いますが、ま、リアルです。
「同じ営業所内にそこそこ一緒にいながら、全く存在を知らなかった」
生保業界を未経験の人は「は? 頭大丈夫? そんな事ある筈ないじゃん」と思うでしょうが、業界の人は「あぁ、そうそう、こういう事あるよね~。一言も喋らないまま去って行ってしまう子も星の数程いるし、入社1年未満の子はホント顔と名前が一致しないよね~」となるでしょう。
……こういう業界なんです。(外資系等は知らんけど)
後、「なんで保険会社で働いてるのに、クラブでも働いてるの? 意味分かんないんだけど」というツッコミもあるかもですが、生保業界経験者なら「あぁ、よくある話だよね。水商売と保険って相性いいし」と、これもある程度の理解を得られるでしょう。
……ホント、こういう業界なんです。(外資系は知らんけど)
ちなみに、物語では略すると思いますが、オカマバーに客と飲みにいってそこで出会って意気投合した子が、実は同じ営業所内にいて翌朝「昨日はどうも~」とか言われてびっくりした~とか、外人バーで客と飲んでいてなんとなく気になった女の子がいて声かけして、意気投合して一緒に飲んでいて後で「同じ営業所にいるの知らなかった?」と言われてサーっとなった話とか……よくあります……よね?
と、話が明後日の方向にいきそうなので元に戻します。
滅茶苦茶嬉しかったですよ~、声かけて貰って。人として認めてくれて。一緒にいてくれると言ってくれて。
大した話じゃないと思う人もいるかもですが、10ヶ月程、会社で孤立してましたから。それに、田中家での一件もありましたから。
渇きに渇ききった心にじ~ん……と。えぇ、大泣きしましたよ。
彼女がいなかったら……立ち直る事もできず、、FPの道を進む前に力尽きて野垂れ死んでいたでしょう、多分。
「あれ? クズの話は?」
こんなツッコミがありそうですが……まぁ、オイオイと。
全ては書かないと思いますが、ま、察して下さい。
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