最後の仕事
加藤のサボり場かつ、重要な顧客開拓の場であった喫茶福井の事を覚えているであろうか? 第3部で登場して以後、一切登場していないのですっかり忘れてしまった読者の方もいる事であろう。
その後一切付き合いがなかったか? といったら、昔ほど入り浸る事はなくなったものの、月に数度は顔を出すという事はし続けていた。
このように頻繁に通っていると、当然の事かもしれないが、かなり仲良くなる。いつしか家族ぐるみに近い付き合い──娘の結婚式に参加したり等、保険屋とその顧客以上の付き合いとなっていた。
加藤にとってみても、事務所や駐車場を無償で貸して貰ったり、自転車を貸して貰ったり、数回に1度は昼食を無料にしてくれたりという事等目に見えない利益を得ていたのをはじめ、数多くの契約がこの喫茶福井から生まれた事もあり、加藤の生保営業時代においては一つの大きな重要拠点であった事は言うまでもない。
以下、本編では語りきれなかった「最後の仕事」について書いていく。
加藤の最後の仕事は、とある企業の置き土産の契約──ではなかった。 退社2週間前、1件の見知らぬ所からの電話が鳴った。
「あぁ、加藤君かね。ちょっと聞きたい事があるのだが……」
「……と、どちら様でしょうか?」
「あ、ごめん、福井です」
……と言われても全くピンと来ない。
加藤が困っている様子が電話からも伺い知る事が出来たのか、その人物は付け足して言った。
「喫茶福井の旦那、といったら分かるかな?」
「……あぁ! マスターですね!」
喫茶福井の事情。
ここで少々付け足しておかなくてはならない。喫茶福井の経営はママさんが仕切っていた訳であるが、普通に旦那さんが存在した。といっても夫婦で一緒にやっている訳ではなく、旦那は旦那で一つの会社を経営していて、喫茶福井には半年に1度来るか来ないか、という状態であった。一応はマスターという事になっているが、限り無く名だけの存在であり、常連の間でもマスターを見た、という人は殆どいなかったくらいである。
「まぁ、マスター……といっても、君も知っての通り、殆ど店に顔は出さないがな、ははは」
と、笑って話しているが、尋常ではない何ともいえない暗い雰囲気は電話越しにも十分加藤に伝わって来た。
「実は……な」
来た……と、加藤は身構えた。
電話越しにも分かる何ともいえない雰囲気、そしてそこまで仲がいい訳ではない人からの電話──経験からしてロクでもない相談という事が多い。
「ちょっと会社の経営状態が厳しくて、な。確か俺、保険入ってただろ? それを解約したらいくらくらいになる? 教えてくれ」
ここでさらに付け加えておかなくてはならない。喫茶福井のマスターであるこの方、過去に癌にて胃の1/3以上を切っている。俗にいう定期付き終身に昔から加入していた訳であるが、統計データより胃ガンにおける5年以上生存率をみると……少なくとも普通の人よりは入院・死亡確率は高い事は誰の目にも明らかであろう。このような状態であるとママさんより聞かされていたので、加藤はマスターの保険には全くノータッチであった。
「い、いや……マスターの保険は掛捨て重視ですので、解約しても殆ど戻りませんよ。せいぜい、50万あればいい方かと」
「そう……か。悪かったな、突然電話して。じゃ……」
事件は、1週間後に起きた。
Prururu…
朝6時、かなり早い時間に加藤の携帯が鳴った。休日という事もあり、加藤はまだ寝起き状態で半ば意識がない状態で、なにげに電話に出た。
「──え?」
一気に目が覚めた。
まだ少々薄暗く、肌寒い中、加藤はロクに身だしなみを整える事なく現地へと走った。
現場へ到着、ママさんの住処(喫茶福井の上の階)について加藤の目に最初に映ったのは、数人の警察官であった。
「すいません、遅れました、加藤です」
開いたドア越しに声をかけると、奥の方よりママさんが出て来た。
「あぁ、加藤君、ごめんね、朝早くに。朝起きたら、クビ吊ってたのよ……遺書とかないから理由は分からないけど……経営が上手くいってなかったから、その事が原因……──ッ」
加藤にはかけるべき言葉が見つからず、ただただ無言で話に頷く事しか出来なかった。が、この出来事、この時ママさんがしゃべった言葉は、恐らく一生加藤の記憶から消される事はないであろう事は認識していた。
2日後、死亡保険金請求の処理を済ませ、福井家に数千万の保険金がおりた。これにより、福井家は旦那の会社が担保にしていた自社ビルを失う事になったが、負債はそれで帳消しになり、数千万という保険金という財産を築く事に成功した。
が、加藤──いや、福井家の皆は非常に複雑な心境であった。金銭面的にみれば、結果的に旦那の自殺というのがベストであった……という事実に対して、である。
「生きていればどうにでもなる……とはいうものの、50歳後半の私達がこの年でどうにか出来る事なんてたかが知れてるのよね。冗談抜きに、これからの成りゆきによっては一家心中という考えがあったのも事実だし。ただ、実際に行動に移されると……何とも言えない気持ちになるのよ……ね。他に手段はなかったのか? って。その手段が今の私には思い付かないけど。加藤君には悪いけど、保険に入ってなかったらこの選択は無意味で取らなかっただろうなって考えると、保険によって人生を奪われた気にすらなっちゃうんだよね……何か、このお金、遣う気になれないわ。寄付しようという気はないけど……何か遣ってはいけないお金のような気がしてね……」
万が一の時、残された遺族の生活をラクにするが為、生命保険というのは存在する。 このケースでは、確かに残された遺族の金銭的損失補填という事にはなった。
が……心まで癒えたか?
補填されたのか?
何とも後味の悪い、加藤にとって最後の仕事となった。 この出来事が、加藤の将来の方向性に大きな影響を与えていく事になるとは、当時では知る由もなかった。
挿話
流石に、もうかなり前の話なのでかなり記憶が薄れてしまっています。当時は生涯忘れる事のない出来事であろう、鮮明な記憶がずっと続くものと思っていましたが……ある意味残酷なくらい、時間というものは記憶を消去させていきますね。
自殺について──正直自分にとっては「自殺は絶対に悪」とは言い切れないです。
「生きていれば何でも出来るさ。死ぬ事が一番ダメだよ」
まぁ、よく聞く言葉ではありますが、自分から言わせれば「説得力も何もないんだよ! じゃぁ、お前は俺に何が出来るっちゅ~ねん!」です。
御存じの方もいるかと思います。
自分は過去、自殺を本気で考えました。
まぁ、滅多な事では希望を失わないでポジティブに考えがちな自分なのですが、自分の中での「死の定義」というのがあるんですね。もしかしたら、皆さんも「これは死も同然、死よりも残酷だよ」という定義をお持ちかと思います。
自分の中での死の定義──それは「自意識を保てなくなる状況」の事です。 具体的には「アルツハイマーが進行し、自意識がなくなる」という事。
自分のモットーは「自分の事は自分で尻を拭う」です。 何か人の為、とまではいかないまでも、足を引っ張るだけの存在にはなりたくないんです。
はい、痴呆症は恐いですから……
過去、自宅への帰り道が分からなくなる、なんて状況まで陥った事あります。何て事ない、通いなれた限り無く地元で、です。モノ忘れが激しいというのを通り超え「完全に記憶が消去される」というのは恐怖です。
結果、IT病という事が判明、今後の過ごし方でどうとでもなる事が分かったが為、生への執着が何とか復活し、現在に至る訳ですけどね。ちなみに、当時の自己の考えうる死の定義については、今をもってしても「別に冷静な普通の判断じゃんか」と思っています。 (誤解ないよういっておきますが、今はサラサラ死のうという気はありません)
話が少々ソレました。
「第2の人生があるよ」
という言葉もちょくちょく聞きます。 まぁ、これはごもっともかもしれませんが、例えば野球一筋で生きて来た人が二度と野球が出来なくなった~となったら……これはこれで一つの死の動機となり得るでしょう。
「命がけでやってるんだよ」という言葉、よく聞きますが、これって解釈によっては「自殺も考慮に入るんだよ、これがダメならね」とも受け取れるんですよね。(これはこれで間違っていないと思います。こう言っておいて失敗した際、逃げ回るような人は「口だけ野郎」と自分は思ってしまう。。「一生懸命やってるんだよ!」というのが正解だろ! って)
ん~、また話がソレました(笑)
元に戻します。
「50歳後半になり、事業失敗。その後の人生ってどうなのさ? 特に何も手に職ない人が」
はっきりいって、自分にはこれに反論する考えがありません。生きているのが苦痛……というのがかなりはっきり見えている状況といえるとなると……
さて、自分が自殺を考えた事ある~という事を書きました。当時は独身で保険も入っていなかった(やめた)状況でした。
「もしも家族が当時あり、保険に入っていたらどうしていたであろうか?」
あ、そうか……もう過去話を書いたのでここをぼやかす必要はもうないのか。
「もしも元婚約者の妹達を受取人として保険に入れていたらどうしていただろうか?」
冷静に考えると……自殺をした可能性が案外高いんじゃないか、と。 保険金という「おまけ」をつける事により、死という選択肢が大きくなる事もある、というのは恐らく事実でしょうね。
保険とは、死を運ぶ商品。
死の誘惑を与える商品。
人の生をお金という数字に変えてしまう商品。
無駄に多い保険金──無駄の多さに比例して、死への誘惑が大きくなる……なんて事、実際あるのかもしれませんね。
自殺者と保険金の統計…なんて出たら面白いですね。 って…まずどこも出さないか笑
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