第10話:運命のいたずら
時は11月1日。加藤は久しぶりに地区でなじみ客に退社の為の挨拶まわりをしていた。午前中は3件のみの訪問、この数だけを聞けば非常に効率が悪いと思われるであろうが、うち2件が成約に結びついた事を考えればむしろ非常に効率的な動きであったと言えるであろう。そう、前に軽く触れているが、加藤は退職の挨拶回りをするごとに契約が舞い込んでくるという皮肉な成果に戸惑い、悩んでいた。
(また契約が取れてしまった……これって、保険屋をやめるな、続けろっていう神様のお告げか? 何て意地悪な……)
加藤がこう思うのも仕方がないであろう。11月戦が始まって2週目頭のこの時で──…実質活動日数わずか1日半で、既に8件もの契約が積み重ねられていたのだから。
このまま活動を続けたらまた契約が取れてしまう……聞く人が聞けば激怒しそうな程贅沢な悩みを抱えた加藤は、また無意識に1本外れの通りの商店街を歩いていた。9月以降、週2というペースで来ているこの通り──そしてあの場所は……全く変わる事なく光り輝き、加藤を優しく包み込んでくれていた。
「──お疲れ様です。今日はどうでしたか?」
満面の笑みで出迎えてくれる絶世の美女──かつて第三の拠点として通い詰めたあの花屋の日高百合が、加藤の心を躍らせ……決心を鈍らせていた。
(またここに来てしまった……俺は……どうしたら……?)
日高百合──彼女こそ、加藤にこの上ない贅沢な悩みを与えている張本人であった。
時は9月初旬に遡る。
──9月初旬
紆余曲折あって、結局当初の予定通りに退職を決意した加藤は顧客への挨拶回りを始めようとていた。退社の意を伝えるのに回るのは、一抹の不安を感じていた。自意識過剰ともいえるかもしれないが、加藤が辞める事に対し酷く悲しんだり、無責任だと怒る人が少なからずいるであろうと思っていたからである。
最初の一歩が……中々踏み出せない。思わず無意識のうちに1本外れの通りの商店街を歩き……気が付いたら、かつてのオアシスの目の前にいた。
(……あ! し、しまった……何でここに? いくら何でもここに来ちゃいかんだろ、俺……何考えてるんだよ……)
自分自身の無意識の行動に戸惑い驚きながら、慌ててその場を去ろうとしたその時──彼女は1年前と変わらず、優しく加藤を迎え入れてくれた。
「──お久しぶりです。お元気でしたか?」
久しぶりに見る彼女の満面の笑みは……一瞬で加藤の時間をあの頃に引き戻し、心に光を宿していた。
「(クスッ)また私に見惚れてたんですか? 加藤さん、変わってないですね」
「い、いや……久しぶりに見るとホント、異次元なキレイさだな~って。思わず心臓が止まるかと思ったよ」
「www 相変わらずですね。……また来て下さって、ありがとうございます」
「──え?」
「……加藤さんが来なくなって、寂しかったですから」
「ま、またまた~……日高ちゃんも相変わらず男を喜ばす事、言うね~」
「また……前みたいに来て頂けると……嬉しいです」
「え、えっと……来たいのは山々だけど……い、いいの? だって、俺──」
「これからもよろしくお願いします」
「は、はい……こちらこそ」
この様にして絶世の美女、日高百合との関係は……あっけない程簡単に復活した。あの頃と変わらず、それ以上に輝きを増した彼女に加藤の決心は早くも揺らいでいた。この再会がなければ、小橋の引き止めをきっぱり断り、畑口との出会いもなかった……であろう。
畑口との物語と同時進行で……密かにもう一つの物語が始まっていた。
神のお告げ~女神~
加藤は9月から12月までの間、実働日数は週のうちわずか2日ながら去年以上の化け物じみた実績を残す事になる。退職の挨拶回りという名目にも関わらず大きな実績を残す事になったのは、開き直りによる営業能力開花が起きた裏には──日高百合がいたからに他ならないといって過言はないであろう。
──とびっきりの美女が笑顔で出迎えてくれ、見送ってくれる。
日高百合は──加藤に再び歩みだせる足を、そして翼を与えてくれる女神そのものだった。
──再会後、2度目の訪問
「──え? 加藤さん、お仕事辞められるんですか?」
「あれから色々あってね……俺、これ以上営業できない身体になっちゃったんだよね。営業ができない以上、今の会社ではお荷物になるだけだし」
「それにしては元気そうですよ? 先ほどまで普通に仕事されてたみたいですし」
「あ、あれ? 言われてみれば確かに……足も普通に動くし、変な動悸もないや……何でだろ?」
「そんなの決まってるじゃないですか。私に癒されたからですよ」
「──え?」
「いつも私の顔を見て充電されてたじゃないですか。私は加藤さんの栄養剤ですから」
「た、確かに……日高ちゃんを見てから、何か心がスーッと軽くなった様な……力がみなぎってくる様な……」
「www 私と長い間、会わなかったから禁断症状が出たんですよ、きっと。今はもうすっかり元気ですよね?」
「……びっくりするくらいに、ね……」
「加藤さんは私に会えさえすれば、いつでも元気になれますから。いつでも癒されに来て下さい。私も楽しみにしていますので」
「けど……本当にいいの? だって、1年前──」
「想い出は上書きすればいいだけですから。またこうやってお会いできた訳ですから、それで充分ですよ」
「……日高ちゃん……」
「ほら、笑って下さい。加藤さんは笑ってる顔が一番素敵なんですから。そんな顔してたら幸せが逃げていきますよ」
「笑う門には福来たる……か。いい事言うね~、日高ちゃん。思わず感動しちゃたよ」
「そりゃ、私、加藤さんの上司ですからね。飴と鞭を使い分けて馬車馬の様に働いて貰いますよ」
「うぅぅ、そういえばそんな事も……俺、これでも病み上がりに近いからお手柔らかにね」
「大丈夫ですよ。私、加藤さんを操るプロですから。私の手にかかれば、マラソンだって完走させられますよ」
「死ぬって!」
「wwwwww」
「wwwwww」
──9月中旬
「こんばんは~」
「そろそろ来られると思ってました。梅昆布茶、どうぞ♪」
「おぉ……ありがと。ふぅ……肝臓が生き返る気がするよ……」
「www 指導のお仕事も大変なんですね。声もガラガラですし」
「ただ単にカラオケで歌って酒飲んで喋ってるだけだけどね。何かバチが当たりそうだよ……」
「www それも立派なお仕事ですよ。加藤さんが笑顔なら、それが何よりの証拠です」
「……ホント、日高ちゃん、男をノセるのが上手いね~。何だかその気になっちゃうよ。あ~、彼氏、羨まし!」
「www 彼氏はいませんから。そう言って下さるのは加藤さんだけですよ」
「またまた~、10人くらいいるんじゃないの? いずれ日高ちゃんを巡って血なまぐさい抗争が起きても俺は驚かないよ」
「www じゃ、加藤さん、いの一番に命狙われますね。今、私と一番近くにいるのは加藤さんですから」
「……夜道一人で歩くとき、気をつけよ。防弾チョッキも買わなきゃ……」
「wwwwww」
──9月末
「……ハァァァァ……」
「どうしたんですか? 珍しく落ち込んでいるみたいですけど」
「あ、いや……ね。プライベートの話なんだけど、ちょっと腐れ縁的な人との関係が終わりそうでね。……ちょ~っと寂しいな~って」
「あ、彼女さんと別れるですか?」
「いや、彼女ではないんだけどね……かなり仲の良い友達なんだけど、もうすぐ結婚するんだよね……もう今後会う事もないのか~と思うと、ちょ~っと……ね」
「元気出して下さい。私がいるじゃないですか。その人の分まで癒してあげますから♪」
「ホント……日高ちゃんがいて助かったよ。……日高ちゃんいなかったら……ちょっとキツかったかな……あ、ご、ごめん……こんな湿っぽい話、しちゃって。らしくなかったね」
「加藤さんは……特定の彼女さんは今いるんですか?」
「……前はいたけど、今は……ね……」
「♪ あ、ちょっと私の隣に来て下さい」
「ん? いいけど──これでいい?」
「もっと近くに寄って下さい」
「あ、あぁ……え? 一緒に写メ撮るの?」
「そうですよ。はい、チーズ♪……もっと笑って下さい」
「あ、あぁ……」
──5分後
「今から撮った写メ送りますね──はい♡ プレゼントです♪」
「──?! えっと……こ、これは?」
「これで、いつも私で癒されて下さい♪」
「い、いや……う、嬉しいけど……こ、これはどういう意味なのかな~って」
「分かりません? そのままの意味ですよ」
「い、いや……俺はこういう事は疎い方だから、間違えている気もするけど……普通に考えてこれは……か、勘違いしちゃうよ?」
「www いいですよ」
「え、えっと……い、嫌だったら嫌って言ってね。こ、今度、休みの日……デートでもいかない? って……やっぱ無理だよね──」
「いいですよ♡ 明後日、どうですか?」
「──え? 冗談じゃなく、ホントに?」
「ホントに、ですよ♪ 楽しみにしてますね♡」
「あ、あぁ……」
9月末の畑口と九重とホテルに行った翌日の出来事がコレである。この時の気持ちは「嬉しい」ではなく「戸惑い」であった。高嶺の花的存在で絶対自分のモノにならないと思っていたからこその今までの口説き(?)が、まさか……と。その「まさか」が徐々に現実味を帯びていく事を、この時ですら加藤は全く知る由もなかった。
挿話?
本当は時系列を崩さず最初から書きたかったのですが、文才がなく・・・この様に分けて書く事にしました。
時期こそ微妙に違うものの、こんな話がリアルだったりします。
日高ちゃんについて。
外見は・・・言うに及ばず。次回あたりで触れていく事になりますが、一緒に歩いている時、本当に視線が痛かったです。意味不明な例えかもですが、時代が時代なら、この子を巡って戦争が起きても驚かないくらい・・・仮にこの時、芸能界に入っていたら、この子一強時代が到来していたでしょう。
性格は・・・とにかく癒されました。天然で男をノセるのが異様に上手い子でした。そして、異様に気が利く子でした。欠点らしき欠点は思いつきませんが、強いてあげるなら、実はサボり魔で非常識な点も多かったかな? 勤務中にお酒出したり、長時間居座らせたりとか・・・冷静に考えたらダメですよね笑
彼女との再会後・・・不思議と足が動く様になっていました。恐らく、やろうと思えば普通に飛び込みすらできたでしょう。それに気付いた時・・・戸惑いました、ホントに。
そして、9月末──九重と「親友」になって、同時に別れを意識しだして、微妙にブルーになっている時に、まさか・・・と。
この時期程、運命のいたずらを感じた事はありませんでしたね。
次回は・・・日高ちゃん無双の話?
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