第6話:マルチ
「おい、加藤。ちょっと今日時間あるか?」
とある日、話し掛けて来たのは勝野である。新営業部長になってからというものの、何か覇気が感じられない、少々影が薄くなってしまった勝野ではあるが、一種独特のオーラは未だに衰えを知らない。
「は、はい」
「じゃ、これから俺について来い。面白い話しを聞かせてやる」
といい、会社から少々離れた喫茶店に向かった。その道中、今の会社の体制の不平不満で意気投合しながら、久しぶりに楽しい会話の一時を楽しんでいた。
「さて…お前を呼んだのは、ちょっと仕事の事についてなんだがな」
喫茶店につき、勝野の第一声はかなり真剣な表情であり、思わず加藤も少々緊張気味に構えた。
「今の体制じゃとてもじゃないけど食べていけないから、サイドビジネスを始めたんだよ」
ここまでは加藤の想定内の話であった。というのも、ここ最近勝野は全くといっていい程契約をあげていないにも関わらず、毎晩忙しそうに外出を繰り返していたからである。何かサイドビジネスでも手掛けているのでは? というのは想像するに難しくなかった。が、次の言葉は全く想定出来ない内容であった。
「で、よ。その内容なんだがよ。冬虫夏草なんだよ。漢方薬の一種な」
「は? 漢方薬売ってるんですか?」
「バカ、普通に売ってもオイシクないだろが! 一言でいえば、マルチだよ、マルチ!」
「え…マ、マルチですか…」
「実は、よ。ここ数カ月の間でうちの営業所のうち2/3の人がコレやるようになったんだよ。で、システムがいいからよぉ、お前にも紹介してやろうかと思ってな」
「え…」
マルチ。
説明するまでもないであろう。ねずみ請といえば分かりやすいであろうか。もうお忘れになっている読者の方も多いであろうが、加藤は学生時代マルチに手を出し、知り合いという知り合いを潰していた。当然、その経験よりマルチという言葉自体にアレルギーを感じる程、嫌気をもっている事は言うまでもない。当然、その事は勝野も知っている事なので、一瞬耳を疑った。そして、答える。
「勝野リーダー、自分が学生時代にマルチやってたっていう話、しましたよね。だから第一基盤が存在しない、と。当然、マルチを自分が嫌ってるって…御存じですよね…」
「おぉ、知ってるぞ。だからこそ、お前にシステムがどうか見てもらおうと思ってるんだよ。お前の太鼓判があれば、まず成功するだろうからよ。取りあえず、今日集まりがあるから、お前も来いよ」
何か上手く言い込められたような気もしたが、しぶしぶ加藤はその日の集まりに参加する事に同意した。
夜、居酒屋にて。
そこに集まったメンバーを見て、一瞬営業所の飲み会と勘違いした。それ程までに、見慣れた職員ばかりが集まっていたからである。 加藤は、皆に取り囲まれるかのような場所に座らされ、意味不明な飲み会が始まった。
「で、加藤君。もうここに来てるっていう事は、ヤルって事だよね」
「え?」
「大丈夫、皆やってるから。今の体制嫌いでしょ? だったら皆同士だよ。バーっと稼げるようになったら、ババって辞めちゃお、会社」
…集まりとは名ばかりの、マルチ勧誘場と化していた。 過去の苦い経験より、頑に参加を拒否しだして1時間。まわりの空気が一変する。
「…加藤はもうちょい話の分かる奴だと思ったのによ…」
「あ~あ、こんないい話を無下に断わるなんて、アホだなぁ」
「…だからお前はダメなんだよ。皆に嫌われるんだよ」
「あなたはもう会社辞めた方がいいんじゃない? 合わないでしょ」
etc…
加藤がマルチに参加しないと分かると、とたんに一斉に罵声が集中砲火した。 よくぞここまで悪口いえるなぁ、と思える程、適格に加藤の心を一言一言が加藤を痛めつける。
(この人達…回りが見えているのだろうか…このような仕打ち、自分がされたらどう思うなんて考えれない…んだろうな…)
いつしか加藤はテレビ画面に映る風景を見る様な感覚で、心の動きが停止したまま、状況を見守っていた。
2時間後、岐路に向かう加藤は皆に対して抱いていた信用・信頼が全て崩壊していた。
…あれ程慕っていた勝野においても。
「なんで…マルチなんだよ…アホ、が!」
誰もいない夜道。悪酔いも重なって、絞り出すような声で叫んでいた。
翌日から、加藤は営業所内で孤立する様になっていった。
……皮肉にも、この出来事がきっかけで、加藤の営業能力が更に開花する事となる。
挿話
保険営業で恐らく一番多いサイドビジネスが…マルチでしょう。毎月の成績によって給料が激動する営業にとってみれば、毎月の固定収入権利が得られるマルチはさぞかし素晴らしい仕事のように見えるようで。。が、ここで書くまでもなく、マルチは大半の人がマイナスで一部の人が大儲け~という仕組み。通常のやり方じゃ、まず成功しません。
マルチの一番恐い所は、「マルチに所属している事が幸せ。選ばれた集団なんだ」等という不思議な空気が出てしまう所。えぇ、まわりが全くといっていい程見えなくなります。(宗教にかなり似ているかも)
何ていうんでしょうか、毎日の疲れ・ストレスから麻薬に走るのと同じ感覚とでもいえばいいのでしょうか。。案外スっと入ってしまう人も多いようで。
ある意味一番辛いのが、「まわりがみんなマルチやってる環境で1人だけやらない」という環境です。えぇ、まるで「お前は人間のクズだ!」というような状況に追いやられます。 我ながら、よくその環境に耐えたなぁ、と自分で自分を誉めてやりたいくらいです(笑)
この環境にならなかったら、もしかしたら退社までには至らなかった可能性が。。 (最終的に相談相手なんぞ皆無状態でしたからねぇ)
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