第二部:第1話 新人指導(1)
新人指導、そして……
「え~、今から新人を紹介します。新人の人達は前に来て下さい」
4月某日。
普通の会社においては4月は新入社員の入社時期という認識になるが、保険会社に至っては毎月新たに人が入り、そして去っていく為、あまり特別な感じはしなくなる。が、少なくとも今日ここで紹介される人達にとっては一つの節目の時期として少なからず心に持つ何かがある事であろう。
ふと物思いに耽る。随分昔の事のように感じるが、まだ1年前の出来事なのである。
(本来なら、2年目の俺なんて、新人と変わらない筈なんだよなぁ……)
さらに物思いに耽る。不思議なもので、1年経過しただけで、営業所内での入社歴は「中堅」になっていた。自分の同期は当たり前のように誰も残っていない。それどころか、自分より後に入社してきた数十人はいたであろう後輩も今では数える程しか残っていない。その僅かな人達の中でも、今月で退社しようか、と話をしていたりする──なんとも不思議な業界である。
「え~、これで朝礼は終わる。山田! お前は今日から加藤の指示に従って仕事を覚えていけ。席は…あそこだ。分かるな?」
物思いに耽っていた最中に、朝礼が終わった。
いかにも寝不足そうな目、パっと見30歳台半ばくらいには見える風貌、住宅地図のコピーの山に囲まれている人物。この人物こそ、物語の主人公加藤である。
「あ、あの……今日から宜しくお願い……します。加藤先輩」
「あ、よろしく、頑張って下さいね。え~っと、取りあえず新人がやる仕事として営業所の伝統的な事ですが、まず朝8時に出社してコーヒーを作って先輩達に出して下さい。それから、配りものの整理とか配付とか────」
数多くのいわゆる「男性新人のすべき事」を羅列していった。言葉にして見ると、我ながらよくこのような雑務をしながら仕事をしてきたものである。
さて、聡明な読者の方はこの会話で少し違和感を覚えたかもしれない。先輩である加藤が後輩にあたる山田に対し敬語を用いている事を。
それは単純に年齢の違いである。加藤は大学卒業後直接入社で1年経過、24歳なのに対し、山田は他の会社からの転職組らしく、年齢は実に勝野と同じ28歳であった。4歳も年上の人がいわば「部下」となっている事に対し、非常に違和感を感じ、敬語を用いてしゃべるという一種の不自然さを醸し出しているのである。
ふと心の中で呟いた。恐らく山田も心の中では何度か自分を殴りたい気持ちになっていたのかもしれない。
「お? 加藤~、お前もエラくなったなぁ。これでお前もとうとう下っ端じゃなくなった訳か……俺にやられた事全て山田にしてやれ!」
1年前の会話からは信じ難い程いわばフレンドリーにしゃべりかけてきたのは、加藤の元トレーナーの勝野である。
「お、山田、お前俺と同じ年だなぁ。ま、頑張れよ。取りあえず加藤のいう事に従っていればどうにかなるだろうから、色々聞いてやってくれ」
「は、はい、わ、分かりました……」
「おいおい、俺はお前と同じ年なんだぞ? そんな固くならなくてもいいじゃないかよ。な、加藤」
……と相槌を促す勝野に対し、「えぇ、その通りですよ」とはとても言えなかった。勝野の風貌は……恐らく街行く人の大半が道を譲ると思われる程気合の入った感じなので。
「なんか、1年前のお前を見てるようだよ……大丈夫か、アイツは」
素朴に勝野が独り言のようにしゃべる。いわれてみれば、1年前の自分はこんな感じだったのかもしれない。確かに今の山田の姿を見てると「大丈夫かよ、コイツ」と思えてしまう。という事は……1年前、さぞかし指導しづらかっただろうな……
加藤は、表に出る事はないが、今月からトレーナー職とされていた。山田がいわば自分の部下第一号という事になる。加藤の仕事は、契約を取って来る事ではなく、山田に契約を取らせる指導となる。が、表に出せない以上他の人から不自然さをなくす為、今まで通りに加藤自身の契約も追わなくてはならない。と、よく考えてみればかなりのハードな立場となっていた。
「じゃ、山田さん、取りあえずアンケートを10枚取って来て下さい」
「え? ど、どこにいって取って来るんですか?」
「え?? そりゃ地区に飛び込みして取って来るに決まってるじゃないですか」
「え……でも、飛び込みは今までした事なくて……どうやったらいいんですか?」
「いや……別に難しく考える必要はなくてですね、ドアをノックして新人の挨拶回りで回っているからアンケート書いて下さい、といって数多く飛び込めばいいだけの事ですよ」
「……断わられたらどうするんですか?」
「断わられたら、さっさと次をあたればいいだけですよ……とにかく! 実践で覚えるしかしょうがないので、10枚アンケート取って来たら会社に帰って来て下さい!」
「と、取れなかったらどうするんですか?」
「……取るように頑張って下さい。そうですね……取りあえず19時まで回ってみて、その成果を自分に見せて下さい!」
「わ、分かりました……」
加藤には到底理解不能の事であった。が、この理解不能の事により加藤は今後大いに悩まされる事になる。
19時。
数分前に帰社し、山田の帰りを待っていた。実際に山田が表れたのはそれから30分後であった。
「ただいま戻りました……」
「あ、お疲れさまです。どうでした?」
「い、いえ……それが……」
山田が提出した結果報告は加藤の予想に全くないものであった。
「な。何やってたんですか! アンケート……ゼロ? どうしてです??」
「いえ、そ、それが……何件か回ったのですが……キツく断わられたので、それで気が滅入って……」
「訪問件数5件になってますが……訪問していない時間は何やっていたんですか!」
「い、いえ……1件飛び込む度に足が竦んで……5件断わられて落ち込んで……公園で休んでいました……」
「……これでどうやって契約をとっていけると思っているんです? アンケート回収は基本中の基本ですよ!」
「えぇ……頭では分かっているのです……が……」
「とにかく! アンケートを回収しないと話になりませんので、明日から気合いれて頑張って下さい」
加藤はなんともいえない怒りにも似た感情で、どのように教育していったらいいかを足りない経験ながらも必死に考えた。このようなやりとりが、3日続いた。
4日目、異変が起きた。山田が来ない……連絡を取ってみるが、全くの留守である。
そのように思っている所に、営業部長がツカツカと歩いてくる。
「おぅ、加藤。これから山田の家いくか? ……現実を見る事になるぞ」
意味深な事をいう営業部長に引き連れられ、山田の家にいく。
──ピンポ~ン
「はい、どちらさまですか?」
「あ、宅急便です。ハンコお願いします」
「少々お待ち下さい……」
……ドアが開き、山田が「あ!」と驚いた顔をしている。何故に宅急便を名乗ってドアをあけさせたのかは後に知る事になるが、山田の部屋に入り、話を聞く事に。
……酷く怯え、酷くやつれた表情で小さな声でボソっと「…自分にはとても無理です…辞めさせて下さい…」といったのが印象的だった。
山田が早くもリタイヤ──加藤には理由が分からなかった。
帰り際、営業部長がボソっといった。
「これが……現実だよ。お前はセンスないとかいっているが、お前はお前でかなり長所があったんだよ。それは断わられる恐怖をモノともせず、ひたすら飛び込めた事だよ……」
ある意味意外な事を聞いた気がした。ごく当たり前のように、飛び込みをしてアンケートを取る。そりゃ断わられたりしたら気が滅入る事も多々あるが、それが仕事だと割切って気持ちを引きずらずに飛び込み続けた事、正直誰にでもできる事だと思っていた。
(……俺なんぞおだてても何もメリットないのに……あ、まだ俺に何かやらせる気だな?)
加藤の予想(?)は半分当たり、半分不正解であった。加藤は名のないトレーナー。いわばこの出来事がホンの序章である事を、本人は知らないでいた。
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