第9話 プレッシャー
プレッシャー
「おい、加藤、11月戦はどれだけやるんだ?」
大森支部長が話し掛けてくる。
「え? いや……まだ10月始まったばかりですから……全然分かりません」
「またまたぁ~、デカいネタ隠してるんだろ?取りあえず5億な」
「え?? な、何を……」
と、加藤の言葉を待つ事なく、去っていく大森。
先月の契約以来、確かに他のみんなの見る目がガラっと変わった。 ビギナーズラックというにはあまりにも大きすぎる数字だったが為、「ただ者ではない」という認識が出来てしまった…のである。
その皆の認識の中で一番困惑していたのは、とうの本人、加藤であった。 まさしく、ビギナーズラックでしかあり得ない契約だった、と加藤自身認識しているからである。あんなに大きな契約は、二度と取る事はないであろう……あんなに条件が揃い、かつ偶然が重なってという事は確率的にいえば天文学的な数字になる訳だから。
が……誰も「ビギナーズラック」という言葉で片付けてくれない。 勝野も例外ではなかった。あれからというもの、勝野は加藤に話し掛けてこなくなった。 いや、正確には勝野を営業所で見る事は滅多になくなった、といっていい。 どうやら、加藤の成績自体を見て、負け時と契約を追う日々を続けている……らしい。
「●●先輩、この事についてちょっとお聞きしたいのですが……」
「あぁ? そのくらいお前自分で調べれるだろう? あれだけ大きな契約取ったのだから」
と、他の人もこんな感じである。
(こんな事なら、契約取らない方が良かったよ……)
加藤は入社以来味わった事のない、疎外感を感じていた。
(なんか窮屈だなぁ……会社辞めてしまおうか……)
と、退社もかなり本気で考えたりもした。
数日後。
「加藤君──」
──ゴクリ…
朝の朝礼、先日の成果発表の時間である。 加藤の名前が出ると一気に営業所に緊張感が走る。
「1件1200万」
──ザワザワ……な~んだ……
な~んだ、という声は実際には聞こえないが、多くの人はこのように思っていた事であろう。
あれからというもの、「加藤は大きな契約をまた持ってくるのでは?」という変な期待感が営業所を包んでいた。これは……営業部長や支部長も例外ではなかった。
「おい、加藤、今日はこれだけの成果しかあげれなかったのか……まぁ次は大きいのをもってこいよ」
等といわれる始末。
(何故に普通の契約をとってきてこのような言われ方をしなくてはならないんだ……俺はまだ入社1年にも満たない新人だぞ……!)
加藤に課せられる期待が、加藤を潰してしまおうとしていた。
(どうしたら……いいんだ、このままじゃ、潰れてしまう……)
変なプレッシャーも相まって、一つの事件が起きた。
体調を崩す
10月半ばのある日、営業所を逃げるように飛び出して飛び込みをしていた。 たまたま、今日はとあるお客さんのアポイントが入っていた事もあり、早めに昼食を取る事にした。
(取りあえず今日はもしかしたら夜遅くなるかもしれないから、多めに食べておくか……)
食事は、牛丼特盛。昼食を抜かす事も多かった加藤にとって、この食事が悲劇のはじまりとなろうとはその時は夢にも思わなかった。
──ピンポ~ン♪
「あら、加藤君、いらっしゃい、どうぞ入ってよ」
坂本さんという家に訪問していた。この家は、概観からは想像の出来ない程の資産家であり、たまたま気にいられて保険の相談を、という事にてアポイントが入っていたのである。
要望は、従業員かけの1/2損金で落とせるものをやりたい~との事だったが、当然加藤にはその提示をする知識はその時持ち合わせていなかった。
「一度営業所に戻って、詳しいものに聞いてきます」
「あら、そう。じゃ待ってるわ。そうそう、加藤君昼食まだでしょ? 出前とっておいたから、食べなよ」
「え?? ……あ、ありがとうございます……」
そう、普段世間話的に加藤は昼食を取らない事が多い事をお客さんに話す習慣がついていた。この坂本さんも例外ではなかった。 その事を覚えていた為、親切にも昼食を用意してくれていたのである。
が……加藤は30分前に牛丼特盛を食べている……お腹は……かなりはっているといっていい。 出前の中身は……うな重、大盛になるであろうか? が……せっかく用意してもらったものを断わる訳にもいかない。
「い、頂きます」
ゆっくり食べていては途中で食べれなくなってしまう、という思いからか、一気に食べはじめた。が、それがいけなかった。
「あら、いい食べっぷりねぇ。出前とった甲斐あるわ♪」
坂本さんは喜んでいる様子。かなりお腹は苦しい……が、ここで残す訳にはいかない……という思いから、気力で全部食べ切った。
「ご、ごちそうさまです、おいしかったです……」
「あら、それは良かったわ。それだけ一気に食べるという事は、余程お腹すいていたのね」
……その逆である事は坂本さんは夢にも思わなかったであろう。
「じゃ、デザートも食べていってよ」
「え???」
一気に食べたのが徒となった事になるのか。 目の前に、こってりとしたチョコレートケーキ、チーズケーキの2つが用意される。
「これは、●●というお店で買ってきたものだから、おいしいわよ」
……確かにおいしいであろう、お腹がはっていなければ。 が、出されたものを無下に断わるのも悪いと思い、これまた一気に平らげる。
「ごちそうさま……です、おいしかったです……あ、そろそろ営業所に戻りますね……」
そそくさと坂本さんの家を後にする加藤。
……悲劇は……さらに続く。
──営業所にて
「支部長、かくがくしかじかで、自分は分からないので同行して貰いたいのですが」
「お! いいぞ~、今ちょうど暇していたんだよ」
少々大きな契約と見たのか、大森支部長の目がキラリと光る。 ササっと用意を済ませて、いざ現場へ──といく所、珍しく大森が気を効かせた。
「……お前、昼食普段とってないんだってな」
「え? はい……取らない時が多いです」
「バカ、駄目だぞ、食事取らないと身体が持たないからな」
「あ、ありがとうございます」
大森からこのような気遣いの言葉を聞いた事は……入社以来初めてだった。
「おし、今日は食事奢っちゃる!」
「──え?」
「時間ないから、牛丼な」
「──えぇ??」
……今日2度目の牛丼。3回目の食事、時間にして3時間以内にである。かなり、厳しい。
「並1つお願い──」
「ん? 何を遠慮してるんだ? 若いんだから、もっと食え。特盛2つお願いします」
……悪魔の一言だ。目の前にドンと牛丼が……これを食べなくてはならないのか……
ふ……っと気が遠くなるのをグっと堪え、最後の気力を振り絞って完食した。
「おし……今からいくか」
……その後の事は、殆ど記憶にない。 頭が朦朧とし、腹痛が酷くなってきた為である。 契約は……取れたらしいが、どのような契約が取れたか覚えていない。 意識は保っていたものの、たっているのが不思議なくらいの状態であった。
翌日──ダウン。
実に1年で2回目のダウンとなった。
休憩
──食べ過ぎに、極度の心身疲労
大まかにこのような事をいわれたのを記憶している。 取りあえず安静にという事で、部屋が空いているからよかったら、という事で、入院する事に。
──コンコン……
見舞いに来たのは、勝野であった。
「お前、バカだなぁ。食事くらい断わらないとダメだろが。ま、俺も同じ事したかもしれないがな(笑)」
「すいません。……自分、会社辞めようかと考えているんです」
「はぁ? なんでだ?? 成績あがってるじゃないか」
「いや、成績があがり過ぎて回りのプレッシャーが大きすぎるんです……」
ここで、加藤が悩んできた事を勝野に洗いざらいぶちまけた。
「……確かに……なぁ。よく考えたらお前まだ入社半年も経っていないもんなぁ。そりゃキツいわなぁ。かといって、それだけの数字をあげてしまったら……期待されない方がおかしいからなぁ。何かいい手はないかなぁ……」
はたと、勝野が妙案を出す。
「お、そうだ。お前このまま11月終わりまで入院しておけ。上には上手く話つけておくから。大事な11月戦を体調不良で1ヶ月休むとなれば、上も期待しないようになるだろうからな。仮に11月で成績がまたあがった日にゃ、それこそ今後ず~っとプレッシャーかけ続けられるからな。まだお前にはそのプレッシャーに耐えられる実力も付いてていないだそうし、ま、俺も同じ立場だったら耐えれないだろうからな、ははは」
意外な提案である。
直属の上司にあたる勝野の給料は、部下の取ってきた成績によって上下する。 まして重大月である11月の成績は自己の評価にも繋がるので、普通に考えれば休め、とはとてもいえない筈である。 が、自己の給料、評価を捨ててまで、加藤の将来の為……この提案をしてくれたのである。
「あ、ありがとうございます! ただ……勝野リーダーは大丈夫なんですか? 立場悪くなりません?」
「ばっか! お前1人くらいゼロでも他のみんなが何とかするだろうよ、何とかなるさ」
と、勝野は精一杯の強がりをしていた事に気付くのは、後2ヶ月後である。 結果を先に書くと、勝野は11月の部下の成績不振の責任を負う形になり、リーダー職を辞めさせられる事になる。
10月半ばから11月の終わりまで、営業所から加藤の名が消えた。 名目は、どのような診断書を書いてもらったのか不明だが、皆がいうには「心臓大丈夫?」であった。
この勝野の妙案は想像以上に効果的であり、復帰後加藤に変な期待を抱くものは皆無となった。
──11月、成績ゼロ。
7月に新人でダントツトップの成績、そして9月には支社全体を揺るがした大きな契約を取った加藤の成果であった。不思議なもので、11月という重大月をゼロという成績をあげるだけで、支社から加藤という名が出る事はなくなった。
数字が全て……過去の数字はあっという間に廃れていく……この業界の常識を目の当たりにした。
「結果的にお前にとって良かったか悪かったかは分からないが、明日から1からやり直しだ、頑張れよ」
「はい……ありがとうございます!」
これが……勝野のリーダーとしてのアドバイスを受ける実質最後の言葉となった。
挿話
前回の話が事実と異なりますが、9~10月と1件単価は低いものの、好調を維持しておりました。極め付けは上記倒れる結果になった某家&支部長の暴食にて伴った契約、1/2損金契約。この2ヶ月を平均すると、7月戦並みの成果だったんですね。
「おぉ、コイツは急激に成長しとる新人だ」等と、、支社内で囁かれていたらしいですが、自分の耳で直接聞いた訳ではないです。
で、この調子ならば11月戦はすんごい成果持って来るだろう、と勝手に営業部長、支部長が妄想。。。不思議なプレッシャーは感じていました。
正確には7月、8月、10月と短期間で3度体調不良を訴える事を勝野が気遣い、「休み」を提示しました。(どんな報告をしてるかは不明)
確かに、この長期休暇を取らなかったら…自分の営業人生はここで終演していた可能性は否定出来ないですね。えぇ、、ただでさえプレッシャーは身体に良くないのに…右も左も良く分からないような社会人1年未満の人にゃ、、すんごい重荷だったです。
これを読んでいらっしゃる方で指導の立場の人、いらっしゃいましたら考慮してやって下さい。
死ぬ気で働く~ウンヌンのスパルタはいいかとは思いますが、いわゆる「期待のプレッシャー」は相当のものですから。(ある程度実力が伴えば問題ないと思われる)
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