第4話 保険会社の常識?
初契約
契約が……取れた。
過去の出来事が走馬灯のように蘇る……という事は一切なく、不思議なもので逆に「どうしよう」と思ってしまった。
何故「どうしよう」と思ったか?というと、加藤は契約がとれればいいな、と思う反面、「世の中そんなに上手くいく筈ないよな」と思っていた部分が強く、契約が取れた後の準備を全くしていなかったのである。
(契約書、どうやって書くんだっけ……た、確か、こうだった……かな?)
契約書は当然用意してきている。が、実際に書いて貰うとなると、昔(といっても1ヶ月程度前の話だが)に聞いた事があるくらいで、具体的にどこを書いて貰えばいいか分からない。 といっても、保険の契約書自体、書いて貰う部分は多くはなく、何とか書いて貰う。
(さて……確か銀行引き落としの紙を書いてもらうんだったよな。……ん? 銀行引き落としの紙が……ない? し、しまった! そういえばそのような紙あったよなぁ。すっかり忘れていた……)
「す、すいません、銀行引き落としの用紙を忘れてしまったので、今から至急会社に取ってきますね」
「あ、分かりました」
慌てて会社へ急ぐ。
自転車で10分ちょっとの距離の場所を、3分で……という事はなくせいぜい8分くらいか。 汗だくになりながら、会社に戻った。
「ただいま戻りました」
「おぉ、どうだった?」
「契約取れました!」
「おぉ、おめでとう! 契約書を見せてみろ」
勝野に契約書を見せると、間髪をいれず、怒鳴り声が。
「バカ! 契約者と被保険者の印鑑同じだろ。後、ここ書いて貰ってない! 後、面接士の予約は? 後────」
──不備の嵐、だった。
「早く契約書作り直して、もう一度契約書、書いて貰え!」
……契約が取れた喜びは一気に覚め、何故か締めきり間近に契約が全く取れていない焦燥感に似た感情が加藤を覆った。
「あぁ、そうなんですか。分かりました、書き直しますね。あ、ここ間違えちゃった、横線訂正でいい?」
「あ、いいですよ」
銀行引き落としの紙も書いて貰い、今度こそ完了だ! と思い、会社に戻る。そして勝野に契約書をチェックして貰う。 そうしたら、また勝野の一喝が!
「バカ! 横線訂正の所に訂正印がないだろが! 訂正印貰ってこい!」
三たび、田畑さん家へ。
「す、すいません。一つだけ訂正印お願いします。ここの横線訂正の所に訂正印押さないとダメとの事なんですよ」
「あら、そうなのね。ちょっと待って下さいね──」
今思うと、よくもまぁ怒らずに何度も契約書の訂正等してくれたものだと思ってしまう。 本当に、いい人である。
そして、また会社へ。
「おぉ、今度は……ちゃんとマトモな契約書だな。ただ、ミスが多い! お前、これから契約書の書き方、繰り返して覚えておけ!」
まるで小学生の漢字書き取り練習のように、何度も何度も契約書を書いた加藤であった。 そして、加藤が解放されたのは、既に空は赤く染まっていた後であった。
加藤にとっての初契約、少しほろ苦い思い出になってしまった。 実際、暫くの間、契約を取ってくる度に「また不備があって勝野にドヤされるかもしれない」と、ビクビクしたものである。そう、まるで契約が取れなかった方がいいかのように。
なにはともあれ、加藤の保険営業物語のストーリーが、ようやくスタートする事になったのである。
勢い
翌日の朝礼、先日の成果が発表される。
「加藤、1件修S1202万」
初めての成果。
思わず胸が熱くなった。
ただ、あくまでもこの程度の数字では注目を浴びる事はなく、他の人達の成果に埋もれる形になる。ズラっと並ぶ、先日の成果発表の数字。 よくもまぁ、これだけ数字が並ぶものだ、と感心すらしたものである。
いつものように、地区へ出向く。
契約を1件取れたという事で、気分的にちょっと大人になった自分を感じながら(笑)
──ピンポ~ン
「は~い」
「あら、加藤君、何?」
この家へは何度かなじみ活動をしていた事もあり、少なくとも警戒なくドアを開けてくれるようになっていた。
「実は今日、保険の設計書を持ってきました、上からの命令で……」
当然、そのような指示等出ていない。
加藤自身、いきなり保険設計書を出す話法を持ち合わせておらず、取りあえず加藤自身が設計書提示の理由として強引に考えた末の話法である。
取りあえず加藤は過去アンケートを取った際に保険未加入の所に保険を提示してみる事を試していたのである。田畑さんのようなラッキーを再び求めて。
「ん~、保険は入ってないけど、今、私は入れないのよね」
「え? 病気なんですか?」
「いや、私、実は先日仕事辞めたのよね。今次の仕事探してる所なのよ」
「あ、それならうちの会社来ませんか?」
「──え?」
入社当時の加藤からは想像出来ない程、すんなりと言葉が続いた。
「丁度、今うちの会社、社員募集しているんですよ。よかったらその説明会来ませんか?」
「ん~……、行こう……かな」
「では、今日の14時か16時ですとどちらがいいですか?」
「ん~、じゃぁ14時くらいかな」
「では、その時間にまたお迎えに来ますね」
勢いとは恐ろしいものである。
契約が取れたという事で、この時加藤は「どんな話も上手くいく」という不思議な自信に満ちていた。その為か、スラスラと言葉が。
当然、説明会があるというのも嘘。保険業界というのは常に人を求めていて、入りたい人がいたらいつでも話をし、勧誘するものなのである。
14時と16時という選択というのも嘘。別に四六時中営業部長は営業所にいるので時間なんていつでもいい訳だが、なんとなく時間指定した方が決断を促しやすそうだったので。
営業トークという点でいうと、「2つの選択話法」「丁度今日~という、特別感を持たせる話法」「入社を、ではなく、敢えて説明会という事で業界のイメージアップ」という3つの技術を駆使していた事になる。 当然、加藤はそのような事は全く考えてやった訳ではないのだが…
早速、会社に戻る。
「ただいま戻りました! 営業部長いますか?」
「おぉ、加藤、どうした?」
「実は今日、今、職を探している人がいましたので、一度話を聞きに来ないかという話をしたら、話を聞きに来るという話になったんですよ」
「おぉ! それは凄い。で、いつ来る事になったか決まったのか?」
「それが、今日の14時に来る約束をしてきました」
「お、お前、どうしたんだよ。なんか人が違ったように準備がいいじゃないか」
全くその通りである。ホント、よくもまぁこんな準備のいい活動が出来たものだ。
その約束を取り付けると、さっそうと再度飛び込みにいこうと出ようとすると──
「ちょっと加藤待て、お前、昼飯はどうするんだ?」
「いえ、自分は銭、今ないので、食べない予定ですが……」
「じゃぁ、奢ってやるから、ちょっと来い!」
思わず、心で歓喜のガッツポーズ。
そう、加藤は昼御飯をここ暫く食べない事が多く、昼食にありつけるという事自体非常に有り難かった。食事といっても、そこらの食堂みたいな所を想像していたのが……加藤の考えは甘かった。
某有名ホテルのランチ。
味は…分からなかった。
というか、何故こんな所で食べる必要性があるのか? という事だけ、頭の中をグルグル回っていた。
「どうだ、旨いだろ」
「は、はい……」
何故か、ワインまで。
よく昼間からお酒を飲む会社だ…と思いつつ、少し頂く。
「さて、そろそろいくか、迎えに」
会計へ。
「合計で、11,050円となります」
耳を疑った。
それを驚く様子もなく、ごく当たり前のようにカードで支払う営業部長。 この業界とは、こんなものなのか? 不思議に思ったものである。
そして、迎えにいき、会社で説明会。
といっても、営業部長がただ話をするだけではあるが。説明会という事で1人では怪しまれるとでも思ったのか、数人営業職員がサクラとして参加していた。
話終了後、彼女が一言。
「私、もしかしたら非常に今大きな人生の分岐点になっているような気がしてならないの」
まぁ、この業界を垣間見た人は少なからずそういうもので……ある。この彼女は後に加藤の人生を大きく変えるきっかけとなるのだが、当然その事を2人は知らないでいた。
営業部長の車にて、送りにいった帰りの車の中で、加藤が一言。
「……地区営業って、思わぬ出来事、あるんですね」
営業部長は、答える事なく、静かに頷いた。
7月戦前
6月の初契約が取れた後、結局その月は後1件の契約をあげる事に成功した。 ラッキー的な契約で、飛び込みした先の人が「丁度保険考えてたんだよ」と、御自身でプランを提案、いともあっさりと契約があがったのである。
と加藤がその時思ったのは言うまでもない。
通常、生命保険会社の締切り日は24日になる。
が、6月の締め切りはそれよりも1週間早くなっていた。
本来なら、その月の締め切り週という事でバタバタとしている筈の営業所に、全員が集められていた。そして、営業部長の話がはじまった。
え~、6月の締め切り、御苦労さん。今日から実質的に7月戦になる訳だが、第一報の予定を今から聞かせてもらう
第一報?聞き慣れない言葉だ。
思わず、勝野に質問する。
ん?第一報??まぁ、単純な話、来週頭にどれだけの契約をとってくるのか?という事だな
えぇ?締め切り終わったばかりじゃないですか。何故来週までに数字が出来るんです??
ばっかだなぁ、お前。7月とはそういう月なんだよ。だから、6月は敢えて契約はおさえて第一報でドンと出すのがミソなんだよ
リーダーはちなみにどれだけの数字を…
会話の途中で、営業部長が勝野に話し掛けて来た。
勝野、7月第一報の数字は?!
それに間髪いれず答える勝野。
はい、えぇ、4件4800万です
その数字を聞いて安心したのか、一瞬ニヤっとしたような表情を浮かべたと思うと、間髪いれず加藤に聞いて来る。
次、加藤。数字は?!
えぇ?いや、数字といわれても…
じゃぁ、取りあえず1件1200万な!
全くもって、訳の分からないやりとりが続いていた。
勝野のいっていた数字、実に普通の職員の月ノルマの数字よりちょっと多いくらいであった。
ちなみに当時新人である加藤の本来のノルマは低く、修S1500万でノルマ達成というものであった。
何故…7月に通常月の数倍もの契約をあげなければならないのか…
聞いた答えは「重大月、いわゆるキャンペーン月だからだな」との事であったが…数年たった後にも、この重大月に契約を大量に出さなくてはならない理由というのは見つけだす事は出来なかった加藤である。
ただ、研修期間中から教わってきた事、上司のいう事は絶対服従。 いわれたからにはやらなくては、ならない。。
契約がよ~やくとれるようになった加藤にとっていわば無謀とも思える数字が重く加藤の心にのしかかっていた。
リーダー、どうやったら通常月の数倍の契約取れるんです?
そりゃ、単純だ。通常月の数倍動けばいいだけだよ
…なんともひねりのなにもない、アドバイス(?)を受け、訳の分からないまま、7月戦の準備が行われようとしていた。
(第一報=6月25日に契約を入れる事=その日が正式な7月戦スタート日となる)
幸いにも、丁度先月(といっても本来なら6月なのであるが…)にアプローチ…というよりは殆ど相手側から切り出してきた話であるが…していた先から保険入るよという返事を受け、無謀とも思える1週間の間で成果をあげるという事に奇跡的に成功した。
飛び込み、いわば「下手な鉄砲も数うちゃ当たる」というのはまさしく加藤の事を示し、数こそそこまで多くはないが、相手側から話を切り出してくるという事も案外あったりする。それで加藤は何度助けれた事か。
契約が取れたのが、実に22日の金曜日、ギリギリであった。
飾り付け&決起会?
ちなみに平日は8:00までに出社(本来は9:00までに出社なのだが)で、お茶汲みやら掃除等やらされていた。
いつものように10:00に出社、大森支部長がいきなり一声。
「遅い! お前、舐めとるのか!!」
「えぇ??」
「7月戦直前の前の土曜日は男は8:00出社というのを知らないのか!!」
「あ、ごめんなさい、加藤に伝えるの忘れてました」
……勝野の連絡ミスだったらしい。ともかく、普段と違う雰囲気、何故か皆、腕まくりをし、汗だくである。
パっと見、大掃除のように見える。が……何かが違う。
「とにかく、加藤! お前は桑原と買い物にいってこい!」
何がなんだか分からないうちに、買い物に出ていく事に。ちなみに桑原とは自分より2年先に入った先輩(男)の人である。実に、2人きりになるのは入社以来初めてで、よく考えたら口も聞いた事がなかった。
「せ、先輩。一体なに買いにいくんですか?」
「あぁ、ビーチボールとか飾り付けようのヒモ等だよ」
「──? な、何するんですか?」
「はは、今回はハワイのイメージだとよ」
「????」
全くもって意味が分からない。
とあるデパートに到着。
冗談とさえ思っていた代物をどんどん購入していく。合計費用、実に20万超といった所か。
海の波の音のCD等、一体何に使うんだ?
缶詰めのつめもの50セット??
etc……
訳分からないまま、2時間弱の時間をかけ、買い物終了。
「ただいま戻りました」
「おぉ、ごくろうさん。どれどれ、、ん~、いい感じだなぁ。このフサフサは波をイメージしたものだな」
……何がなんだか分からない。
「さて、今から飾り付けするぞ!」
ここから、一斉に部屋の模様替えがはじまった。
2時間近く意味が分からないまま動いていた加藤はとうとう口に出して聞いてみた。
「あ、あの……一体何してるんですか?」
「見れば分かるだろ! 営業所の模様替えだよ!」
「……で、何故こんなド派手にするんです?」
「今年はまだ地味な方だぞ。そりゃ7月戦だからに決まってるだろが。部屋をド派手にしたら、みんなもやる気になるだろ?」
「は、はぁ……」
なんて強引な理屈なのだろうか……
意味が分かったような分からないような感じで手伝いをしていた加藤であった。 ちなみに、この行事は未だに行っている営業所があるようである事を付け加えておく。
実に3時間くらいが経過したであろうか。すっかり営業所内は別世界へと変わっていた。壁はブルーの紙を張り巡らせ、海をイメージ。 天井からはビーチボールや魚の浮き輪を釣るし、蛍光灯まで色が変わって──
な、なんて悪趣味な……と思わず口に出しそうになったのを必死に腹の中にしまったのはいうまでもない。
バックミュージックは波の音。御丁寧にも、扇風機の風でフサフサが波のように流れるような視覚効果が。
──一体……何の意味があるのだろうか……しかも、20万超のお金を使って──
どうやら生命保険会社の儀式のようなものらしいのだが、この感覚が理解出来た事は一向になかった。
時間は16:00、これで晴れて解放されるかと思いきや、「さ~て、今から決起会やるぞ」という言葉と共に、飲み屋へと。
決起会?
「じゃぁ、今日はお疲れ様」
「お疲れさまで~す」
ビールを乾杯して飲む。いわば営業所の飾り付け、肉体労働に等しかった訳であり、ビールが異様に上手く感じた。
次々と料理が出てくる。いつもながら、「ここ、いくらで食べれる所なんだ?」と思うような場所である。 なんていうんだろうか…大きな水槽に魚が泳いでいて、それを刺身にしているようで──
「そういえば加藤、お前第一報はどうなった?」
昨日なんとか入れていたので、いわば自慢げに1件取れている事を報告すると、予想外の答えが。
「お前、アホか! 1件だと? ここにおるヤツみんな4件は出来てるぞ!」
「──え?」
「入社時に言っただろう、男は出来て当たり前。他の人の2倍やって当然なんだよ。じゃなかったら、いる意味ないんだよ!!」
「──え??」
なんともハードな世界に入ったという事を、否応無しにも思い知らされた。 人並みじゃ、ダメだよ、と。
「選出会議でもお前、メシ食べただろう。その分もお前は働かなくてはいけないんだぞ!」
タダ飯を食べれる程甘くないよ、と。 タダ飯を食べたからには、それ相当の成果をあげろよ、と。 そのような事……らしい、当然、この決起会というのも──
「勝野、お前は今年はS2億ノルマな」
「は、はい…」
「加藤、お前は…まぁ新人という事で、ノルマは1億で許しておいてやる」
「……は?」
「ばっか、お前、勝野なんか、最初の時2億以上の成果あげたんだぞ! それに比べれば大した事じゃないだろ!」
「は、はぁ……」
選出会議の時いわれた数字がS5000万、決起会でいわれた数字がS1億、倍になった。 4件くらいでS5000万いくかいかないか、という事は要するに8件やれよ、と。
目の前が、思いっきり暗くなった。
「お前は他のヤツより、入社以来数字をあげてないんだ! このアホんだらぁが!!」
etc……
数多くの罵声(叱咤?)を浴びせられ、家路に付く時には冗談抜きに退社を決意していた程である。
今思うと、かくも上手いやり口だったなぁ……といい思い出の一つになるのであるが。
いよいよ、7月戦がはじまる。
いわば、「地獄の一ヶ月」が、日曜日を挟み、月曜日から。
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