10月下旬~検査~
病院に行く当日の事
前回のような状況を判断…自分のみであれこれ考えていたら恐らく狂ってしまうかも…と思い、さっそく医者へいく事にしました。で、神経内科のある総合病院に電話したら…
「どこかいって、紹介状貰ってきてよ」
との事。
朝一でいこうと思っていた出ばなを挫かれました。
事務所近辺の病院にいこうとしたら…午前中は既にワンサカ人が…これは午後にした方がいいと思い、事務所へ。で、昼御飯を作ろうと思い、千切り器厚切りタイプでタマネギをシャカシャカしていたら…
シュッシュッシュ…ザク!!
『うぉう~~!!!!!』
決して上の空だった、という訳ではなかったと思います。いや…多少医者にいくという事が頭を過っていたのかも…
スプラッタネタになってしまいますが…タマネギの中に自分の切れた指の一部が……すいません。
血が…全然止まらないよ…
ポタ…ポタ…
自分が動く先には血のしたたる後が……強引にセロテープを指の関節あたりでグルグル巻きにしてなんとか止血。
と、予想外の出来事にてあっという間に午後の診察の時間が…ここは、内科・外科を兼ねていましたので、、指もついでに見てもらいました。
「今日はどういった事で来たのかね?」
「最近記憶が飛ぶんですよ…」
「具体的には?」
自分(前回書いた症状を事細かく説明)
「…紹介状をかくから、精密検査して貰いなさい」
と、紹介状を書いてもらい、指を治療してもらってその日は終了。
赤十字病院
翌日、紹介状を持って、赤十字病院へ。
…なんでこんなに人、いるんですかねぇ。。
この病院だけみてたら…「おいおい、そこらのデパートより人入ってるんちゃう?」とすら。。
紹介状を提出、神経内科へ。
…滅茶苦茶待ちましたねぇ、1時間は優に待っていました。。
「たくみさ~ん、どうぞ」
と、自分の診察がよ~やくはじまる。。
医者「さて、どうしたのかね?」
自分(昨日と同じような説明をした。とたんに、医者の顔が険しくなる)
医者「いつ頃からかね?」
自分「ん~…3ヶ月くらい前から…ですかねぇ?」
医者「じゃぁ、簡単なテストしましょう」
Q)今日は何日の何曜日ですか?
A)正解の日にちを3日程ずれて答える。
Q)あなたの名前は何ですか?
A)さすがにこれは答えれた。
Q)5ー3は?
A)バカにしたような問題、即答。
Q)84ー29は?
A)10秒程度答えにかかってしまった…
Q)野菜の名前を知っているもの10個いって下さい。
A)6個答えれたくらい…
Q)中学・高校の名前を教えて下さい。
A)即答
Q)ふでばこを見て下さい。この5つのモノを覚えて下さい。(数秒後)何がありましたか?
A)3つしか答えれなかった…
etc…
テストをしていくうちにどんどん医者の顔が険しくなる。
医者「失礼ですが、仕事は頭を使わない仕事ですか?」
自分「いえ、滅茶苦茶使う仕事です」
医者「中卒…ではないですよね?」
自分「大学出てます」
医者の顔が一段と険しくなり…
医者「頭痛とかしますか?」
自分「えぇ、よく」
医者「至急、MRとりましょう、今日時間大丈夫ですよね?」
自分「え、えぇ…」
…と、自分の不安を煽るような顔色の変化…血液検査とMRの手配をされ、いざ検査へ。
MR検査
…異常なし。
どうやら医者はアルツではなく、脳腫瘍や脳硬塞の可能性を疑っていた様子。MR結果を見て、医師の顔色が途端に良くなってました。
血液検査
これは後日に聞きにいったのですが、予想外にも異常ナシ。1年前から比べて異様な進歩、健康そのもの…だそうで。
検査結果
特に何もないよ、だとの事。
ただ、症状は気になるので様子見だね、と。
何故、そのような症状が起こったのか?
異常ない、こう言われるのが実は自分は一番恐かったです。
アルツ系の情報は滅茶苦茶取り入れていましたので…MR等で異常が出る、血液検査にて異常が発見される時は既に「自分を認識していない」ケースが殆どと知っていたからです。
はい、、なんていえばいいんでしょうか…潜伏期間状態とでもいえばいいんですかねぇ。。ある意味…初期症状から見て、、モロ「あなたアルツの前兆あるよ~」と言われるようなもの。
当然、非常に気になっていた点なので、何故そんな症状が起こり得るのか、聞いてみました。答えの一つは…自分の想像通り。アルツの前兆だそうでして。ただ、個人的に非常に気がラクになった答えが…
「睡眠不足、ビタミン不足、運動不足にて、そういう症状が出る時あるね」
というもの。
はい…確かに睡眠は1日平均3~4時間。。過度の睡眠不足といわれました。
で、これは全く気付かなかったのですが…「過度のストレス状態」にもあるらしいです。…仕事でストレスを感じる事は全くなかった…のですが、
「いや、身体を動かさないとストレスになるんだよ…」
と。
よって、当分は睡眠を沢山とって、運動をしなさいよ、と。
まぁ、藁にもすがるというか…やらなければ…と、翌日より
- 睡眠は5時間は取るようにする
- 運動する
- PCに向かう時間は1日8時間と制限するよう心掛ける
という事を実行していきました。
病院に再度いく時は?
さて、様子見だね、と言われたはいいですが、じゃぁどの状態になったら来たらいいのか? というのを聞いてみました。
そしたら…
「ん? その時は君1人で来ないから、というか来れないからね、ハハハッ」
だそうで。
また、
「そうだねぇ、自分の名前が分からなくなるとか、自宅に帰れなくなるとかになったらヤバいね」
とも。
ん~…聞かなかった方が良かったかも。
その事を聞いてさらにブルーになったのは言うまでもありません。。
自分の過去
現状を正確に書く前に自分の過去を少し。
自分は小学2年まで…ははは、「特別学級」にいくかどうか? と言われていた様です。ここで「様です」と書くのは…自分は自我の芽生えが非常に遅く、恐らくは小学3年以降だったと記憶しています。
よって、それまでの事は聞いてでしか分からないのですが…
- 言葉…片言しか覚えれない(小学2年)
- 記憶…自我がなかった為か、異様に悪い(小学2年)
だったそうです。
まぁ原因は何だか不明なのですが…そんな状態から自我の芽生えから1年、小学4年にて都会へ転校しました。…当初の通知表は見るも無惨。オール1状態。まぁ…当然といえば当然ですね(笑)
が…そこからがある意味「奇跡」ともいえる知能向上が。瞬間記憶能力とまではいえませんが、見たものは大体覚えてしまう。将棋に興味を持ったのが良かったのかどうか…人がやっているのを見て覚え、将棋界へいくかどうか? な~んて話すらあったくらいです。
中学に入ってからは、「テストで悪い点を取る事が意味不明」という程までに。まぁ…ちょいと反抗期もあり…態度と目つきが悪いせいか…内申点はテストの点からして「何故?」という程悪かったんですがね(笑)
高校入試。
5教科にてミス1で合格。
入学式にてナントカ代表なんていわれ、壇上で何かを受取った記憶が。
まぁ…あれやこれやあり、殆ど勉強…いや学校もそんなにいかなかったか? 模擬テスト等、受けた記憶が殆どない。。数学コンクールたるもので、何か表賞された記憶が、それくらい。それでも大学へ。
大学時代に勉強~……人並みに勉強はしたかもしれませんが…殆どしませんでしたね。興味なかったですから。
何を思ったか、日本生命へ。まぁ…特に何も特記する事はなかったのですが…
「試験で滑る気がしない」
と、まぁ…かな~り自分の頭を過信していたのは事実(笑)
まぁ、単なる自慢にしか聞こえないでしょうね、ここまでは笑
現在
過去を書いたのは、何も自慢をしたかった訳ではなく、今とのギャップを知って欲しかったからです。
今の状態を。
- 記憶力は…特に瞬間記憶能力は…ボロボロ。
- 計算能力は特に変わりなし。
- 文章構築能力…少々落ちているか?
変な話かもしれませんが…過去出来た事が出来なくなった…それも人並み以下に~となってしまったのは非常にショックです。一番のショック…といいますか、悲しいのは…目先の事すらスッポリと忘れてしまう事がある事。
「あぁ~、そういえばこれ忘れていたよなぁ」
と、これは単なるボンミス。
皆様も案外あるかと。
ただ、
「忘れた事が分からない、その事を忘れてしまう」
心掛けも何も関係ないっす。ヒジョーに、非常にショックかつ、恐いですよ。。ホント、何度涙したことか。。
取りあえず…これ以上は悪くならないように…と。
勝手な推測
まぁ…小説の見過ぎかも。
自分の愛読書のひとつに「アルジャーノンに花束を」というものがあります。簡単にストーリーを書くと、知恵遅れの人が頭が急激に良くなり、良くなったスピードと同じようにまた頭が悪くなっていく、というもの。
…案外、このストーリーに自分が重なります。当然、この主人公程の急激な知能の発達はしていないのですが…
「知恵遅れだった人がまともな大学にいく」
通常から見れば、「急激な知能の発達」と言えるでしょう。それが現在はこんな状況だよ、と。
『そっくりじゃね~かよ!!』
と。
若年性痴呆症…「君はまだ若すぎるから」と言われましたが、上記の勝手な推測からいうと…決して早すぎるという事はないような。。
まぁ…最悪の予想ですけどね。
今後どうするか?
ぶっちゃけ話、サイトを閉めようと考えていました。一言で、言葉で書くとなんとも味気ないですね。
ただ…滅茶苦茶悩みましたね、生きているという事に対して。
「自我がない、なくなる事」
…できればその時に文を書いていたら非常に臨場感があったモノとなったでしょうが…残念ながらそこまで自分は強い人間ではなかったようで。。
まぁ、あれやこれや考えてちょいと考えが変わりました。
「やれるだけ、やってみよう、何もないかもしれないし」
仮に自分がそういう運命を辿るなら、そういう風に生まれてきたのなら、それには何か意味があるのでは、と。現在できるべき事は、やっておけよ、と。HPという形態なら、記録に残るし、ある意味これも「生きている証を残す事になる」よなぁ、と。最悪の場合、自我がなくなった時でも、「こういう人いたんだ」という記録になるよな、と。
それこそが、この世に自分が生を受けた使命ではないか、と。
まぁ、「もうダメだね」と自己で判断した時には早乙女師匠あたりにこのページを引き継いでもらう予定です。
認識
過去、自分は理解出来なかった事ありました。保険屋時代、どう見ても「第一級障害者」状態なのに、申請しないという方いました。理由は「そこまで悪いという証明を受けたら二度とよくならないような気がして…」と。
今、痛い程その気持ち分かりますね。認めたくない…というかなんというか。
自分は「記憶がなくなる事がたまにある」という現状をふまえ、ホワイトボードにて大体の予定等を書き込むようにしました。
「そんな事かい!!」
と突っ込まれそうですが、かな~りキツかったですよ。これをするようになったら…治らないような気がして、ね。(状態が元に戻らない…といった方がいいのかな?)
ただ…人に迷惑をかけないが為には必要な認識なんでしょうね。かな~り…ホワイトボードに書いているだけでも…ズキズキ心でしょうか…痛みます。
「おいおい、漢字殆ど書けないじゃん…」
まぁ、これはPC入力ばかりしているせいもあるでしょうが…ね。自分の知力というか…その低下具合が具体的に出るような気がして…ね。
まとめ
と…いかにもマイナス的部分をグワ~っと書いてきました。が…単なる杞憂なのかもしれません。まぁ、10年後あたりに「おぉ、そういえばこんな事考えていた時もあったなぁ、バカだなぁ、俺」なんてなっている可能性のが高いかも(笑)
一つの記録として、残しておくのもアリかな、と思い、あまり気が進まないながらもこの記録をupする事にしました。
暫くは…ここのコーナーは自分の病歴日記にでもなるでしょう。まぁ…このコーナーだけは、、更新したくないものですね、今後。
ではでは。
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